授業ノート/形而上学
何がどのように存在するのかについての学問
ペッパー君とドラえもんに心はあるか。
ペッパー君もドラえもんも、与えられた目的を遂行するだけの自律的なプログラムであり、心はないと考えます。ペッパー君は現実のロボットとしてプログラムに従って動作し、感情や意識を持つことはない。
一方、ドラえもんはフィクションの中で心を持つ存在として描かれているが、それは物語の設定にすぎず、現実の科学的な基準では心があるとは言えない。
ただし、ドラえもんの物語の世界においては、心があると考えることも可能。
しかし、現実の視点に立つと、両者ともに心を持たない自律的なシステムであると結論づける。
機械とは何なのか
ウィーナー「物質の一形態であるとともに、特定の目標を成就する機能を持つもの」
入力に対して出力を返すもの
出力だけ見ている
チューリングテストは、「知的な振る舞いができるか?」というAIの能力を測るテスト
チューリングテストで合格しても、心があるように見せかけることもできるのでは
「その振る舞いの裏に、人間のような『心』や『理解』はあるのか?」という哲学的な問い
でもこれって理解というのが自然科学で説明できないことが前提では?
機能以上の何かがあるってこと?
「究極的に存在するのはモノ(自然科学で説明できる物質あるいは人工物など)のみである。
心も究極的には計算できる
でもマルクスの政治思想が入ってくる
自然の解明 → 森羅万象の解明
一つのところに帰着する