ヴォルテールは「観光」概念をSci-Fiとして書いた
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世界には「まちがい」がある。ヴォルテールは、その認識を読者に与えるために、主人公に世界旅行をさせた。ぼくはここに、観光というモチーフが効果的に使われた最初の哲学を見たいと思う。 観光は社会学的には一九世紀に誕生した。ヴォルテールの時代にまだ観光は存在しない。
世界旅行という思考実験を導入することで、世界にはつねにぼくたちの想像を超えた悲惨な現実があるかもしれないという、その可能性一般を突きつけようと試みたのである。ぼくはここに、現代のダークツーリズムに近い問題意識を見る。観光が、知識の拡張というより、むしろ想像力の拡張と不可分のものである 文芸うま。。。tkgshn.icon*4
未開の「タヒチ人」(それそのものがディドロの空想だ)につぎのように発言させている。
お前さんの国で[近親相姦によって]火あぶりにされようがされまいが、わしの知ったことじゃないよ。しかし、お前さんはタヒチの風習を楯にとってヨーロッパの風習を非難してはいけないが、それと同じで、お前さんの国の風習をかつぎ出してタヒチの風習を非難するのもどうかと思うよ。わしらはお互いにもっとがっちりした規則がほしいわけだ。ところで、その規則というのは何だろう? ★12 ヨーロッパ人は近親相姦を否定する。しかし「タヒチ人」は否定しない。ディドロは『カンディード』と同じように、世界旅行の仮定を導入することによって、人間や社会の本質について、ヨーロッパの常識に囚われない普遍的な視座を獲得しようとしている。現代思想に多少詳しい読者であれば、ここで、二〇世紀を代表する文化人類学者、クロード・レヴィ=ストロースの仕事を思い起こすかもしれない。レヴィ・ストロースはまさに、緻密なフィールドワークと大胆な理論によって、ヨーロッパ人の常識的な人間観や社会観(ヨーロッパ中心主義)を切り崩した人物だった。 これはカッコ良すぎる