アートとは何か
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複雑な・自分には理解できない・奇想天外な・基準外なものを、「アートっぽいね」みたいなふうにいうのは浅はかだと思ってる
(自分の立場の表明として)異常なものだけがアートではないと思う
あるときはアートだったものが、時間が経てばデザインになってしまうものもある
優れたデザインでも、ある文脈から参照されればアートになることもある
一時期は、アートという言葉を「言語では表せない高次元的なもの」だと考えていた 言語化できない感情を、美術・芸術へ変換する行為
頭脳と身体が対義語な前提だった
感情が頭脳(言語)では表現できなかったら、身体的表現へとレイヤーを昇華させ行為る だけど、言語(詩のようなもの)でも、「アーティスティックだな。」と感じることがある
「(具体的な)方法だから〇〇」というイメージではない
結論、「人には人の思う『アート』がある」
これだけで終わると面白くないので、考えるためのリファレンスを付け足す
「願わくば統一的な定義づけを動機とする画一的な方向性を超えて、多様な分野を含むジャンルとしてのメディアアートを参加者とともに探求したい。「それはメディアアートではない」でなく「それもメディアアートである」という解釈を目指す。
「アート」と「現代アート」という言葉のちがいを説明すると「アート」という言葉はかなり広い意味で使われていて、子供の絵だって制作者がアートと言えばアートだと思います。しかし「現代アート」となると<新しい見方、考え方など、美術史上に新たな一歩を踏み出す意図>があるかどうかが重要になってきます 現代アート作品が「わからないもの」と言われるのは、今まで美術史上になかった新しい提案になるので、大衆からしたら違和感があるのは当然です。印象派だって当初は現代アートでした。(「印象しか描かれてないじゃん」と批判されて命名された名前) 「新しい」と言いましたが、新しいだけじゃだめなんです。例えて言うと、美術史は連載継続中のマンガのようなもので、現代アートは最新号のジャンプのようなものです。
世界中の何百万人という現代アーティストたちが最新号を描いていて、美術史という単行本に掲載される一握りのワクのために命がけで勝負しているという感じです。
なので前号を読んでない人が、脈絡なしに新しいマンガを描いても、トンチンカンになるのと同様、新しいだけだと変な人がただ描いただけの作品になってしまいます
だからこそ、何を表現したくて作ったのかという背景がとても大事なんです。しっかりと美術の歴史を調べたり自分の目で見たり体験しなければ、その作品には説得力が生まれません。
文脈の大切さtkgshn.icontkgshn.icon*3 「それはメディアアートではない」でなく「それもメディアアートである」という解釈を目指す.