ものごとがゆっくりしか変わらないという現実を許容できるかできないか
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最近、政治でも思想でも、本当に重要な差異は右か左かといった抽象論ではなく、ものごとがゆっくりしか変わらないという現実を許容できるかできないかだということがわかってきた。
社会がゆっくりしか変わらないことを許容する「べき」かどうかというのは、議論しても意味がない。現実に社会はゆっくりとしか変わらない。それを受け入れて漸進的改良に期待するか、怒りを爆発させて全部ひっくり返すか、どちらが戦略として有効かの判断で政治なり運動なりの道はわかれるのだろう。
興味深い引用を書いていく
自分はこれぐらいの意見しか思わなかったwtkgshn.icon
そんなにディスらんくてええやろtkgshn.icon