BUILDING BLOCKS: an homage to Seth Siegelaub
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まずこの人は何をしているか
伊東の一貫した関心は累積的な文化における合意形成である
累積的な文化(専門知識を必要とし、徐々に文化として解釈される概念(e.g., 学術論文の査読, 現代美術の批評))における合意形成
ブログ面白いのでおすすめ
個人的に、今やってるプロジェクト: DeCartographyの関連領域でもあるので、サーベイしてる最中に見つけたりしたtkgshn.icon そこで、今回個展をやっている
ref.
https://gyazo.com/8a3252819055e3c95f35fe1d620a08d1
「NFTアート」という概念自体を、コンセプチュアルに 捉えることができる この問い自体がかなりメタなんだけど、とりあえず一般的にGoogle検索の上位から引用してくる。そしてこれをそのまま考えることなしに「なるほど!」とかいうのを一番批判している概念という認識tkgshn.icon コンセプチュアル・アートのルーツは、1910年代のフランスのマルセル・デュシャンの仕事に求められる。デュシャンは従来の絵画や彫刻という形式に当てはまらないレディ・メイド(既製品)という芸術形式を提起した。 https://gyazo.com/230be89128734354cce5747f95bb516d
普通の男子用小便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」という署名をし、『泉』というタイトルを付けた作品 2006年、パリのポンピドゥー・センターの企画展ギャラリーで行われた「ダダ展」で、従来よりポンピドゥー・センター内の国立近代美術館で普段はガラスケース内に展示されていた『泉』が、この企画展に移されケース無しで展示されていた。企画展終了の数日前、一人の男がこの『泉』をハンマーでたたき、国立近現代美術館所有の『泉』は破損した。警察発表によればこの男は「自分のやった事は芸術的パフォーマンスであり、デュシャンも理解したはずだ」と述べたという。 コンセプチュアル・アートにおいては、アイデアまたはコンセプトがもっとも重要である。作者がコンセプチュアルな芸術形式を用いたとき、それはプランニングや決定がすべて前もってなされているということであり、制作行為に意味はない。アイデアが芸術の作り手となる。(In conceptual art the idea or concept is the most important aspect of the work. When an artist uses a conceptual form of art, it means that all of the planning and decisions are made beforehand and the execution is a perfunctory affair. The idea becomes a machine that makes the art.)
「作品の具体化の否定」は、画廊、美術館、美術商らによる特権的な芸術の占有を覆そうという急進的な意図を秘めている。ローレンス・ウェイナーは「私の作品は一度見ればその人のものだ。頭の中に入って取り除くことはできない」と述べた。
と思ったら、概念芸術という名前がついていたtkgshn.icon*2 「概念芸術」とも訳されるように、作品の概念や観念的側面を重視するため、言語はもっとも重要な媒体になりうるものであり、批評家のL・リパードはこの傾向を「芸術作品の非物質化」とも定義している。
思うけど、「概念」をそういう"アート業界"みたいなところで評価してもらうためにはそれこそ"政治"が必要なんじゃないか 「現代アート」とほぼ同義。したがって、現代アーティストと呼ばれる人たちが制作しているものがコンセプチュアル・アート、という理解で差し支えない。その名の通り、制作するうえでの技術的な熟練度よりも、作品に込められたコンセプト(=含意、観念、思想など)を重視するアートのことである。 文脈芸になりがちでもあると思うtkgshn.icon これらは作品の流通や評価における権威の役割を問う様々な試みという解釈らしい
しかし、このような流れは、権威のない施設の代替的な形態をデザインすることにはつながらなかった。
話は少し変わり、現代のアートとしてNFTを解釈する主張になる。
そもそも、ブロックチェーンという概念は中央集権的な権威や機関を必要とせずに動作する一種の建築物である。 根本的な合意形成プロセス、すなわち、匿名ノードが分散的かつ自律的な方法で真のオンチェーン取引記録を決定できるパブリックブロックチェーン
その上でやり取りされるNFTアートというのは、暗号通貨との関係もあり、”市場”が価格を決めたりしている。(非中央集権な価格合意プロセス)
複製可能でプログラム可能なデジタルデータは、その証明のために中央集権的な権威(例えば市場管理者)に依存してきたため、合意形成は依存から脱却するための方法であり、芸術性を見出すべき本質的な新しさである。
今までのファインアートに関しては、中央集権的な権威をもとに取引価格などが決定されてきたため、このNFTアートという文脈はこれまでの中央集権的な権威を離れることができる試みの一つなのかもしれない。