全てがやり直せるのであれば、統治は必要ない?
public.icon
Decidimでプロジェクトを進めるのと、GitHub上でOSSプロジェクトを進める違いみたいなものについて書いた
Decidimを防窮訓練で使おうと、Koichiro Shiratori.iconがhal sk.iconから借りてきた
通常は有料であるCode for JapanのSaaS版Decidimを使わせてもらっている
今思い返せば、典型的な手段から入る行為だった
ある意味で、Decidimを使おうとしてうまくいかなかったものでもあるので、知見共有
最終的に、防窮訓練プロジェクトでDecidimを使って意見を募るのはしないことになった
なぜかというと、防窮訓練のプロジェクトで扱うアセットの流動性が高かったからである
基本的にこのプロジェクトで必要になるのは、教材である「スライド」と、受け皿になる「ツール」(例: 内閣府チャットボット, Civichat)だけだから
これらに対して不満があれば、スライド等のドキュメントについては簡単に編集を加えることができる
そもそも、使おうとしていたDecidimはデジタル民主主義のためのツールであり、合意形成プロセスをテクノロジーでサポートするためのもの
今回のプロジェクトは誰かの同意を必要とせずにforkしていいモノだと思う
(この手法に関してはライセンスの項目を参照)
この前提に反対する形で、OSSのforkは元の開発メンバーと同等の情熱のある人間を新たに集めるのが難しいからうまくいかないというものがある
統治のためのツール
極限まで流動性が高い(やり直せる・荒らされても問題ない)のであれば、統治をする必要がない?のでは?
これは、自由至上主義っぽい?(自治不要)
OSSが資本主義からも国家からも独立した存在になりつつあるとか関連してくるかもしれない
DAOの局地はより良い国連(世界政府)
アセットの流動性とストックのためのツールをいかに整理する
1. (形容詞として使うが)「軽いアセット」は流動性が高く、誰でも手を加えることが出来る
簡単に複製できる
流通が容易
2. 反対に、「重いアセット」は比較的ウォーターフォールっぽくやる必要があり、一度決めると方向転換しづらい
SoRの思想そのもの
土台になるもの
官僚制の思想だと思う
資料とかを共有するだけであれば、GitHubでプロジェクトを作ればOK
逆説的に言えば、forkできないものを動かすのが政治ということが言えよう
forkして批判としての創造をすればいいものを、手を動かさずに変えようとするのはダメな意味での「政治」かな
↑政治ゲーとかいう不毛なやつになる場合はこれになる