re: 新配列を学習する意味について / 効率ではなく仕事率を考えてみる
いくつか新たな発見があったのでメモ…駄文を書いていく。 terfno.icon の scrapbox を引用している blog 記事を見かけた
-> どれも効率について述べてなくて、よくわからなかった。誤用厳しい…
もしかしたら違うかも…?
効率は一次元ではなく無次元の数
これは効率という一次元要素ではなく、向き不向きのファクターかもしれない。
もしかしたらこの人が言っている効率は僕が想像している効率とは別物かもしれない
一般に効率というとエネルギー効率のことだと思っていたんだけど、世間一般には違うのか?
全体的に時間を計算に含めていて、効率ではないものを考えてそう
書き方的にもしかしたら仕事率っぽいものを指してるのかも? ある文章の入力のために必要なエネルギーの総量は仕事率とタイプするキーの数、あたりで決まる…はず
仕事率を考える
指の移動距離とキーをプレスするための力と…
打ち方によって移動距離による打つために必要なエネルギーが変化しそう
同じ移動距離でも指によってその「辛さ」は違いそう
「辛さ」ってなんだろ
物理的に指の基点からの長さには違いがあるので伸ばすのに必要な運動量が違うとか
たとえば小指が ; -> p の位置に伸びる動作と、人差し指が j->u で動くのでは違うだろう
たとえばタイピングに慣れている人ほど遠い位置のキーをタイプするための筋肉の使い方がうまく、「辛さ」が小さくなりそう
「辛さ」には傾斜がある
「辛さ」こそが効率と呼んで良い概念じゃないだろうか
入力したエネルギーに対して出力されるエネルギーが指ごとに違う
指とその動きの効率 $ {\eta}_{(R|L)F_{\mathrm{N}}^{\pm{(x|y)}}}が存在することにしよう
傾斜の考察は後日するとして、たとえば右手第三指(中指)を掌屈させる動きの効率を$ {\eta}_{LF_{\mathrm{3}}^{{-y}}}みたいな
添字の使い方合ってないかも。
一旦思考の整理のためにこれで進める。
移動距離に入力したエネルギーと指の動きの効率と時間をよしなに掛け算すれば仕事率になる
仕事率 P は$ \mathrm{P} = F\times\frac{指の移動距離(s)}{時間(t)}
速さ v は $ v = \frac{s}{t}
F は指の出力で、ある出力$ F_{out}を得るために必要な$ F_{in}は効率の概念を用いて$ F_{out} = F_{in}\times{\eta}_{(R|L)F_{\mathrm{N}}^{\pm{(x|y)}}}となる
整理すると$ \mathrm{P} = F_{in} \times {\eta} \times v
これ普通に物理の計算として合ってるんだろうか。
忘れてしまったけど合ってそうな気がするのでこれで考えてみる。
練習によって変化する値は合計の効率と時間と移動距離
効率 $ \eta は指と動作ごとに傾斜はあれど練習によってみ大きくできる、天井は低い。
時間(t) も練習によって短くできる、天井は高いが存在する。
移動距離(s)も練習と工夫で配列を変更せず短くできるが、天井が低い。
同時に移動する指を作ることで打鍵のための単位時間あたり合計移動距離を増やし、指単体見たときの移動距離を短縮することで、速くできたりする
わかりやすいのは右手が打鍵している間に左手は次の文字のための移動をし始めてしまうとか
たとえばホームポジションをタイピング中にずらすテクとかも有名だし活用されてそう
「you」とタイプするときに右手を丸ごと上にずらして実質ホームポジション連打+アルペジオにするとか
「d e」というタイプをするときに、d を人差し指で打ちながら e を中指で打つ運指をするやつとか
このとき人差し指の運指のための効率 $ \eta は中指で e をタイプするときの効率より値が小さくなるが、仕事率 P を考えるとこの効率低下よりも速さ向上のほうが大きく効く、ということなんだろうと考察している。
指の効率 $ \eta はかなり小さいけどうまく論理配列を調整すれば効率の低い指で置き換えて速さを得るみたいなトレードオフを無くせるのかもしれない 論理配列が貢献するのは速度効率ではなく仕事率
論理配列が提供する↓これらのアプローチは効率ではなく距離短縮に貢献し、結果的に速さを改善する
よく使うキーほどホームポジションに近く
連続する文字を違う指でタイプできるようにずらす
このときに考慮されがちなアルペジオ入力とかも移動距離の短縮に貢献している
この速さのことを速度効率と呼んでそうだ
これを指して効率とは言わないんじゃないかな…
論理配列習得直後のデバフとその解消について
運指の迷いから打鍵のための時間が長くなって速さが落ちる
主観的にも、迷いなどからすべての指の効率が落ちる感覚がある
移動距離については配列によって短くなるので、練習によって迷いが減れば、打鍵の単位時間が短縮され、効率が戻るので仕事率がより移動距離の長い論理配列を上回る
順番的には指の効率回復と改善が先に訪れる気がする
その後に設計者が想定したアルペジオの感覚などを掴んで迷いが減っていって速度が上がっていく
必要な打鍵数を減らすことによって必要な出力に対して必要なエネルギーを減らすというアプローチ
新論理配列による速度の改善は同時に効率の優れる運指を使う割合が増えることを意味することもある
配置するときに距離だけでなく、指のエネルギー効率の傾斜を考慮した場合、同じ文字数をタイプする場合に必要な$ F_{in} を削減できる
疲労効率はこの$ F_{in} 削減を言いたいのだと思う
これも効率ではない…
頭の中の文章を容易に出せる効率
出力は「頭の中の文章を容易に出せる」ということなんだろうけど配列によって出力の抵抗感に変化があるということを言いたいのだと思う
これも最初の仕事率の話にまとまるのでは…?
分けて書いてある意味が分からない
結局ある速度で文章を出力するために必要なエネルギーの量に差があるという話をしたいだけっぽい?
結局、速度効率と呼ばれている仕事率の改善を求めて新配列を学習することになるんじゃないだろうか
終端速度の議論に価値が無いことには同意
以下の場合にだけ新配列を求めることになる
同じ速度でもより楽にタイピングしたい
同じ人間の性能でより早くタイピングしたい
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人に読んでもらえて、反応があると便利だなぁ
速度を問題の主題と捉えているように読まれてそうだけど努力のコストをどうかけるかという話をしていたつもり
今読むとわかりにくい駄文だ
私が新配列を速度を目的に習得することがおすすめできないと書いたのは、努力のコスパが悪いと考えているから
速度を求める人は仕事でタイピングをしている、と思っている。
その速度を一時的にでも落とすことはそのまま金銭的な損失になる。
仕事でタイピングをする人が新配列を学習するとき、それは一時的に複数の配列で生活することを意味すると思っている
新配列で旧配列と同等の速さになったら配列を置き換えて、それから速度を上げるための練習をすることになる
それなら始めから旧配列でさらに速くするための努力をしたほうが有限の人生で到達できる最高速度はより高くなり、最高到達地点により早く到達できるだろう、という考えだった
たとえばそうではなく、「効率よくタイピングしたい」という話なら、コスパは悪くない
一時的にでも速度の低い新配列を練習しつつ、元の配列の速度まで戻ればそれだけで仕事率が改善できる。
これは努力のコスト(入力)に対して得られる出力が大きいので、効率が良い。(正しい意味での効率)
そこから使い込んでいけば、いずれは旧配列よりも早くなるだろうし
目指す地点の定義は可能なんだろうかまた今度考えみよう。
現状が「それなりの速度」で、より楽にタイピングしたいなら新配列を習得するとよさそう。おすすめできる。
現状が「それなりの速度」(60 文字/分)でタイピングできるものをどれくらい早くしたいかによっては新配列がおすすめできない/できる
疲労を定量的に計測する方法が無いなら、タイピングゲームのスコアで成長を計測するしかないと思うのだけどどうしてこんなにもタイピングゲームに否定的なんだろうか
入力したエネルギーの総量は論理配列を切り替えたタイミングで変化する
運指を記録すれば疲労っぽいなにかは計測できるかも?
僕がタイピングゲームで図っているのは僕自身のタイピング性能であって、配列の性能ではない
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新配列を学習する意味について
の記事が興味深い。
大意としては、
「qwertyローマ字がすでに速い人は新配列やらなくて良いのでは?」
ということだ。
僕はこれに合意できない。
効率には、速度効率と、疲労効率と、頭の中の文章を容易に出せる効率の、
三つがあると考えている。
「大した文章でないものを少量書く人生ならば、
qwertyローマ字がすでに速い人は新配列やらなくてよい」
ならば合意できる。
なぜ新配列が気になるのか?
qwertyローマ字が遅いからだ。
qwertyローマ字が疲れるからだ。
qwertyローマ字では、自分の思うことをうまく書けないからだ。
このどれかに該当する人が、
「qwertyローマ字は効率が悪い」と思う。
効率には上の三つがあると思うけど、
そこまで分化してなくて、
単に遅いとか効率が悪いと感じるわけだ。
これらは、
少量の文章しか書かない人や、
駄文を書く人には、
どうでもいいことだと思う。
大量に文章を書くのに、
qwertyローマ字はよくない。疲れる。手を痛める。
いい文章を書くのに、
qwertyローマ字はよくない。
僕はここが一番苦痛だった。
これは効率という一次元要素ではなく、
向き不向きのファクターかもしれない。
僕はqwertyローマ字では、自分の思うことの30%も書けない。
で、
まず速度を問題にすることに、
僕は大変疑問を感じる。
「どれくらいで書きたいのか」という、
速度目標と現在地点が毎回不明だからだ。
現在530字(変換後)/10分のペースを、
1000にしたいとか、そういう具体がない限り、
議論にならないからだ。
(ちなみに僕がqwertyからカタナ式に変えた時の実績)
530を600にしたいならそのまま鍛えろだし、
1000や1500にしたいなら、
抜本的な何かが必要だ。
僕の手のスペックは900だが、
そもそも脳と手の回転が速くないと、
1500で文章を書き続けることは結構難しいと思う。
そうした具体的数字なしに、
ただ競技タイピングのチャンピオンを見ていることが、
基準の間違いだと考える。
彼らは競技スコアでは僕の2倍以上速いが、
実用文では僕の1.数倍程度しか速くない。
(KIH動画で確認)
彼らは競技タイピングに特化した訓練しかしていない。
qwertyローマ字は、競技最速の結果を出した配列に過ぎず、
「速く自分の考えを著す」
「疲れずにずっと書いていく」
「自分の考えがもっとも表現しやすい」
配列であることを何一つ保証しない。
なぜなら、
qwertyローマ字の設計時点で、
そのようなことは考えに入っていないからだ。
qwertyローマ字の起源は、
「すでに英語で使われているqwerty配列を、
ローマ字として使えば、
当時支配的だったJISカナに比べて、
覚えるべきキー数が少ない」ことで、
皆に受け入れられたことが、
調査からわかっている。
見た目で探しやすいから採用されただけで、
速度、疲労、自分にしっくりくるかで、
つくられたものではないのだ。
もちろん、たまたまqwertyローマ字がそうなってる可能性もなくもないが、
これだけブラインドタッチ率が少なく(30%)、
軽々とタイピングしている人が少ない
(僕は毎日カフェで書き物をしてるので、
よく他人のタイピングを見ている。
スムーズに書き続ける人は10人に1人もいない)
ことから、
qwertyローマ字は、ブラインドタッチで日本語を書く道具としては、
かなり劣悪な道具だと考える。
その具体は今議論しない。ヒートマップとか運指の話だ。
過去に散々語ったので省略。
さて、
新配列は、
これらの欠点をカバーしようとして設計されたものだ。
速度、疲労、自分にしっくりくるか。
万人でそうか、というのは大規模な調査がない、
個人開発のものなので、
「分からない」というのが答えだ。
だけど、多くの人が使っている配列なら、
比較的万人に向いてる可能性はある。
親指シフト、新下駄配列、飛鳥配列、月配列、
薙刀式、大西配列あたりは、
そうした実績があると思われる。
(いうて親指シフトを除くと、1000人~100人の世界ではある)
つまり、
新配列は、
仮説と設計と、検証の一部まで終わった段階のものだ。
これからは、万人による検証待ち、
といえると思う。
少なくともこれらは、
qwertyローマ字より、
運指効率が良く、疲労しにくい。
(自分にしっくり来るかは好みの要素が強いと思われる)
速度に関しては、
ほとんどの人が、かつてのqwertyローマ字より速くなったはずだ。
そして効率に関しては、客観的数字で言えないが、
体感何倍も楽になっている。
そしてしっくり来るから、使い続けている。
競技速度を問題にしなければ、
確実に恩恵をもたらす。
もちろん、現在標準装備ではないから、
メンテナンスの問題はある。
自分PCでしか使えない人も多かろう。
でもそれを気にしなければ、
qwertyローマ字に二度と戻りたくない人の方が多いと思う。
理由は、上の三つのどれかまたは全てだ。
競技速度は、創作文章を書く速度に比べて、
何倍も速い。
その領域を競うことに、
現代的な意味はすでにないと僕は考えている。
かつては秘書検定の要素であったが、
秘書を雇える人が手書き文を清書させる場面は、
現代では相当なさそうだからだ。
また、競技で一番を取るような人が手術を余儀なくされたり、
作家たちが腱鞘炎を抱えていることは、
qwertyローマ字の宿痾である。
これを使わなきゃ、そんな目に遭わなくて済んだのだ。
(じゃあ新配列だと腱鞘炎にならないかまで、
検証は終わっていない。
少なくともそんな例は聞かないけど、
万人がそうかまではわからない)
つまり、
qwertyローマ字は、
たくさん書きたい人にとってクソ配列だ。
新配列は、
それを良くできているはずだが、
万人にとってそうかは未検証である。
だから僕が新配列を薦める理由は、
お前もこっちこいよ、だ。
一緒に検証しようぜ、なのだ。
僕は薙刀式が今の所最高だと思っているが、
欠点がないわけはないだろうし、
まだ改良できるかもしれない。
それには、他人の検証が大事だと考えている。
クレームは、次の良いものへのきっかけだからね。
ということで、
キーボードは速さが第一義ではない、
と僕は考えている。
自由文での1500字(変換後)/10分は、
ほとんどの人が出せないらしい。
僕はそこに達してしまったから、あえて言えるのかもね。
速度関係ねえよと。
(ほんとは2000以上いきたいが、
キーボードの自由文でここに到達した人は、
日本にはいないのではなかろうか。
とすると、キーボードとかな漢字変換の限界がそのへんなのだろう)
手を痛めずに、自分の思うことを書けるのなら、
500のフリックでも僕はいいと思うよ。
速さしか言わないから、
速度目標の修羅の螺旋に入ってしまって、
目的を見失うのだよ。
目的は、「たくさん良い文を書きたい」だと思う。
それに効率が付随するだけだ。
なお、この方は大西配列を使っているらしい。
たぶんだけど、
この論調は、
「大西配列に変えたけど、元のqwertyローマ字よりも、
タイピングゲームのスコアが良くないことの、
いいわけ」として書かれたのではないかと思われる。
タイピングゲームの害悪は、
真実(配列の実感)を曲げていることだと思う。
競技速度だけをもって配列の性能を語るのは、
すでに時代遅れの指標ではないか?
速度効率と、疲労効率と、脳から出せる効率の、
三つをあげようぜ。
僕は薙刀式に変えて、
速度は3倍、疲労は1/10くらい、
脳から出せる効率は体感30倍くらいあがったね。