川端康成
雪国
伊豆の踊子
川端康成「伊豆の踊子」(1926)
「姥皮」と同じ構造の文学川端康成と「踊子」モデルともされる伊藤初代。
婚約翌日に撮影された写真 作者不明(1921)
舞台となる伊豆半島は「死者の国」
明後日が旅で死んだ赤坊の四十九日でございましてね、四十九日には心ばかりのことを、下田でしてやりたいと前々から思って、その日までに下田へ行けるように旅を急いだのでございますよ。
川端康成(1927)『伊豆の踊子』金星社。
書生は旅の道中「やつし」をする
その時の朝八時から湯ヶ野出立の約束だった。私は共同湯の横で買った鳥打帽をかぶり、高等学校の制服をきびしく押し込んでしまって、海道沿いの木屋宿へ行った。二階の戸障子がすっかり開け放たれているので、なんの気なしに上って行くと、芸人達はまだ床の中にいるのだった。私は面喰らって廊下に突っ立っていた。道の向こう側にたくさんの家々の東を見て、杖に丁寧になどと話しながら、私は栄吉は一足先に立った。踊子が走って追いかけて来た。自分の背より長い杖、竹を持っていた。「どうするんだ」と栄吉が聞くと、ちょっとまごつきながら私に竹を突き付けた。「杖に上げます」いちばん太い竹を抜いて来た。川端康成(1927)『伊豆の踊子』金星社。
踊子は「姥皮」を着ている踊子は十七ぐらいに見えた。私には分らない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた。碑史的な娘の絵姿のような感じだった。川端康成(1927)『伊豆の踊子』金星社。
「姥皮」で若旦那が姥皮を脱いで入浴する姿を目撃してしまうくだりも
灰暗い湯殿の奥から、真裸の女が走り出して来たかと思うと、
脱衣馬の突鼻に川岸へ飛び下りそうな格好で立ち、両手を一ぱいに伸ばして何か叫んでいる。
手拭もない真裸だった。それが姥皮だった。若婦人のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、
私はいかに清々と感じ、ほっと深いため息を吐いてから、ことと笑った。
子供だった。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、
爪先き一ぱいに伸び上がる程に子供なんだ。
私は明らかな喜びでことことと笑い続けた。頭が拭われたように澄んで来た。
踊子の髪が豊か過ぎるので、一七八に見えていたのだ。
その上娘盛りのように装わされてあるので、私はとんでもない思い違いをしていたのだ。
川端康成(1927)『伊豆の踊子』金星社。
やつし
『伊豆の踊子』では、主人公の書生が「高等学校の制服を押し込んでしまって旅をする」=社会的アイデンティティを脱ぐ場面があります。これは「やつし」の構造です。都会の知識人としての自分を隠し、純粋な存在=踊子と出会うための「通過儀礼」的行為となります。名門の帽子を脱帽する。
踊子もまた「髪を誇張して」「十七に見える」と描かれ、実際より大人びた装い=仮の姿をしています。しかしラストで書生は彼女を「子供だった」と気づく。つまり踊子は仮の“女”の皮(=姥皮的な外装)を脱ぎ捨てる存在です。
両者の「やつし」と「脱皮」**が交差しています。これが「通過儀礼の構造を内在する文学」としての共通点であり、『姥皮』の“脱皮=再生”構造と深く響き合っています。