主義主張
「主義主張(-ism)」という言葉は、特定の思想体系や行動原理、またはそれに基づく政治的・社会的運動を指す際に用いられます。この概念は、人類の歴史の中で様々な形で現れてきましたが、その言葉が明確に定義され、広く使われるようになったのは比較的近代のことです。 民主主義(Democracy)
国民の意思を反映して政治を行う考え方。
• 社会主義(Socialism)
生産手段を社会で共有し、平等を重視。
• 共産主義(Communism)
私有財産を廃止し、平等社会を目指す。
• 資本主義(Capitalism)
個人や企業が自由に経済活動を行い、利益を追求。
• 自由主義(Liberalism)
個人の自由を最大限尊重。
• 保守主義(Conservatism)
伝統や秩序を重んじる。
• 全体主義(Totalitarianism)
国家が個人の生活全般を強く統制。
• 無政府主義(アナーキズム)(Anarchism)
権力や国家を否定し、人々の自律を重視。
倫理
• 功利主義(Utilitarianism)
最大多数の最大幸福を目指す。
• 実存主義(Existentialism)
人間の自由と主体性を重視(サルトルなど)。
• 唯物論(Materialism)
精神ではなく物質が根本にあると考える。
• 観念論(Idealism)
精神や意識を基盤とする立場。
• 相対主義(Relativism)
真理や価値は絶対ではなく、文化や状況によって異なる。
• 絶対主義(Absolutism)
普遍的な真理や価値が存在すると考える。
古代の哲学者たちは、現代のように政治と社会を明確に区別してらず、この概念は啓蒙時代から。 プラトン主義は、ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師でもあるプラトン(紀元前428/427年頃 - 紀元前348/347年頃)によって構築された哲学体系。その核心思想は「イデア論」にあり、感覚を超えた普遍的な「イデア」こそが真の実在であり、現実世界はその不完全な模倣であると説く。イデア論に基づき、真理を認識できる哲学者(哲人王)が統治する理想的な国家のあり方を追求した。主著『国家』(紀元前380年頃)は、正義の本質や哲人王の概念を提示した政治哲学の著作として知られる。彼の思想は、形而上学、認識論、倫理学、政治哲学など、哲学の様々な分野に大きな影響を与えた。特に、新プラトン主義を通じてキリスト教神学やイスラーム思想の発展に寄与し、ルネサンス期の人文主義者や近代哲学にも影響を与え、その普遍性と持続性を示す。17世紀イングランドのケンブリッジ・プラトン主義者たちは、政治的・宗教的内乱期において、神学と政治、宗教と科学の中庸を探る中でプラトンの思想を再解釈し、その時代に合わせた形で古代の思想が再活性化される例を示しました 。 紀元前6世紀の中国では、孔子(紀元前551-479年)が当時の戦国時代を超えた「公正な社会」を構想し、その思想は儒教として後世に大きな影響を与えた。 墨子(紀元前470年頃-390年頃)は、倫理を根底に置いたより実用的な社会学を提唱した。 において、儒教精神と関係性を持つ学派が誕生しました。古学派の山鹿素行、古義学の伊藤仁斎、古文辞学の荻生徂徠などが挙げられる。彼らは新儒教を否定し、古代儒教の研究とその精神への回帰を掲げた復古運動を推し進めた。これは、思想史が単一の線形的な発展ではなく、複数の文化圏で並行して、あるいは相互に影響し合いながら発展してきたことを示唆している。 14世紀、イスラム世界においてイブン・ハルドゥーン(1332-1406年)が著した『ムカッディマ』(序説)に、初期のイスラム社会学の証拠が見られ、社会の結束(アサビーヤ)と社会紛争の理論を定式化し、社会哲学と社会科学を初めて提唱したとされ、社会学の先駆者と見なす 。彼の研究は、社会現象を体系的に分析しようとする試みであり、西洋中心史観を相対化する上で重要な貢献を示す。 ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778年)は、トマス・ホッブズやジョン・ロックの社会契約説の流れを汲みつつも、独自の人民主権思想を確立した。彼は、人間は自然状態が理想であり、「憐れみの感情」で成り立っていると考えた。彼の社会契約は、すべての人民(立法者)が一つになり、政府(行政者)を「一般意志」に従わせる協定であり、立法権に優位を置くというもの。「人間は自由に生まれつきながら、至るところで鉄鎖につながれている」という言葉は有名だ。ジャン=ジャック・ルソーの主著『社会契約論』は、その革命的思想のゆえにジュネーブ市会による焚書の憂き目にあったほど。彼の思想は、18世紀のフランス革命に大きな影響を与え、多くの活動家がその思想を基礎に置き、現代の民主主義社会を考える上でも基本となっている。特に、ジャコバン派の指導者ロベスピエールはルソーに深く感銘を受け、彼の思想をフランス革命の標語「自由・平等・友愛」の精神的支柱とした。また、明治15年には日本でも翻訳され、自由民権運動の思想的基盤の一つとなった。しかし、ルソーの思想がフランス革命の恐怖政治に利用された例は、思想の解釈と実践の危険性も示唆している。ホッブズ、ロック、ルソーの社会契約説は、それぞれ異なる結論(絶対王政、立憲君主制、人民主権)を導きながらも、「国家の起源は人々の合意にある」という共通の思想的基盤を持つことは注目に値する。これは、同じ概念的枠組みが、異なる時代背景や思想的意図によって多様な政治的結論に繋がりうることを示す。ホッブズは内乱の経験から秩序を最優先し絶対権力を擁護しましたが、ロックは市民革命の経験から個人の自由と権利を重視しました。ルソーはさらに進んで、人民全体の「一般意志」に基づく直接民主制的な理想を提示した。これらの思想は、アメリカ独立革命やフランス革命の思想的支柱となり、その後の民主主義のあり方に多大な影響を与えた。 功利主義は、行動の善悪を、それがもたらす幸福の大小、すなわち「最大多数の最大幸福」によって判断する倫理思想で、幸福とは快楽の増進と苦痛の欠如を意味するとされます 。ジェレミー・ベンサム(1748-1832年)がその思想の根底を築く。彼は当時の複雑なイギリス法典に不満を抱き、法や社会の改革提案を行う中で功利主義を提唱した。ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873年)はベンサムの快楽主義を継承しつつも、『功利主義論』(1861年)で「快楽の質」の概念を導入し、功利主義の議論を深化させた。彼の思想は、個人の権利の社会的「効用」に焦点を当て、イギリスの自由主義の急進的な潮流を形成した。 経験主義と合理主義
近代思想の形成期には、知識の根源をめぐる大きな対立があった。
経験主義は、すべての知識は経験から得られるという考え方 。人間の認識は生まれつきの能力ではなく、生きていく中で身につける感覚や経験に基づくとされ、ジョン・ロックは「タブラ・ラサ(白紙)」の概念を提唱し、人間の認識は経験によってのみ形作られると主張した。デイヴィッド・ヒュームも経験主義の立場を代表する哲学者。 20世紀以降の多様な思想潮流
20世紀は、二度の世界大戦、冷戦、そして技術の急速な発展といった劇的な社会変動を経験し、それに応じて多様な思想潮流が生まれ、既存の「主義」も大きく変化た。 社会ダーウィニズムは、19世紀英国の哲学者ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer, 1820-1903年)が提唱した思想で、彼はダーウィンの進化論をヒントに、人間社会の原理として「適者生存」という考え方を提示した。この思想は、弱肉強食・優勝劣敗という危険な世界観につながり、自己責任論の拡大や国際問題の単純化に利用されることもあった。スペンサー自身が「適者生存」という言葉を造り、ダーウィンが『種の起源』(第5版)に取り入れたことでも知られる。 実存主義は、20世紀に大きな影響を与えた哲学潮流で、その先駆者とされるのは、セーレン・キルケゴールやフリードリヒ・ニーチェで。20世紀には、カール・ヤスパース、マルティン・ハイデガー、そしてジャン=ポール・サルトルらが実存主義の思想家として現れた。ジャン=ポール・サルトルの『実存主義とは何か』(1945年の講演をもとにした講演録)は、実存主義の基本的な考え方を説明し、世界的なサルトル・ブームを巻き起こす。この思想が提唱された背景の一例に第二次世界大戦の悲惨さとナチスによる占領下の苦難は、人々に深い絶望感と虚無感をもたらし、伝統的な価値観や信念が崩壊し、人間の存在意義が問い直される中で、サルトルは実存主義思想を通じて、個人の自由と責任の重要性を訴えた。また、19世紀以降に広まった近代科学と合理主義への反発も背景にあり、二度の世界大戦を経験した人々は、科学や理性だけでは人間の問題を解決できないことを痛感し、実存主義はこうした近代科学や合理主義への反発として、人間の主体性や感情、自由意志の重要性を主張した。戦後の混乱期に生きる人々に、新しい人生観と倫理観を提示し、主体的に生きる勇気を与えた思想として、実存主義は大きな共感を呼びました 。 環境主義は、人間と自然の関係、環境保護を重視する思想で、レイチェル・カーソンの著書『沈黙の春』(1962年)は、環境主義の歴史において画期的な出来事で、この本は、DDTをはじめとする殺虫剤や農薬などの化学物質の危険性を訴え、生態学的思考の発展を加速させ、それまでで最も多くの人々に環境倫理学について考えた。『沈黙の春』は「アメリカを変えた本」とも呼ばれ、アメリカ社会に大きなインパクトを与え、彼女の警告は、21世紀の環境問題を考える上で今なお指針となった。 ポストモダニズムという用語は、1971年にアラブ系アメリカ人理論家イハブ・ハッサンが社会理論に導入し 、1979年[にはジャン=フランソワ・リオタールが短いが影響力のある著作『ポストモダン状況:知識に関する報告]』を執筆した。リオタールはポストモダニズムを「メタ物語への不信」と定義しました 。これは、近代が正当化のために用いた精神の弁証法、意味の解釈学、理性的または労働する主体の解放、あるいは富の創造といった壮大な物語とは対照的だ。ポストモダニズムは、近代の合理性や普遍的な真理の主張に懐疑的であり、多様性、差異、断片性を重視します 。ジャン・ボードリヤール、ミシェル・フーコー、ロラン・バルトらが、1970年代にポストモダン理論の発展に影響を与えた。背景には、20世紀後半の歴史的転換(大戦後の価値観の動揺、冷戦終結後のイデオロギーの終焉論)や、F.ジェイムソンが「後期資本主義の文化的論理」と表現したように、後期資本主義の文化的表現形態として捉えられることもある。しかし、1995年のソーカル事件では、ニューヨーク大学の物理学教授アラン・ソーカルが、ポストモダン系の学術誌に意図的に無内容な論文を投稿し、それがそのまま掲載されたことで、ポストモダニズムの学術的厳密性に対する批判が巻き起こった。 加速主義は、資本主義や技術の発展がもたらす社会変革のプロセスを、意図的に加速させることで、現在の社会システムを超越しようとする思想。既存の矛盾を深掘りし、その崩壊を促すことで、新たな社会形態への移行を早めることを目指します。英国の哲学者ニック・ランド(Nick Land, 1962-)がその源流の一人とされていて、彼の主著『絶滅への渇望』は、徹底した脱観念論や精神分析を展開し、加速主義の哲学的基盤を築いた。この思想の背景には、少子高齢化、グローバル資本主義の変容、民主主義の脆弱化といった現代社会の切迫感や、「このままでは社会が立ち行かなくなる」という終末論的な視点がある。日本では、宮台真司がこうした社会の「崩壊」への切迫感から自身を加速主義者と称するなど、特定の国家や地域が抱える固有の社会問題と結びついて解釈されることもある。一方で、加速主義はオルタナ右翼に哲学的基盤を与えたとして批判されることもあり、その思想的影響は多岐にわたる。