民族という虚構
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概要
人間の民族、人種などの分類は、内在する客観的な性質にのみ依存しているわけではない
ex)多文化社会を謳うアメリカほど文化の同質化が進み、普遍主義を標榜するフランスでは、アルジェリア移民に対する 異質な眼差しが存在する 民族の運命などの実体も、自然科学における定理も、全ての事象は主観から切り離すことはできない
虚構であることを覆い隠されて生きている
一方で、自由意志や真に独立した個人もまた虚構である
個人と社会は多分に影響し合って歴史や社会を再構築する
過去から未来へと横たわる時間を認識し、不確実な生を享受できる
気になったところ
個人主義と全体主義の共犯関係
ルソーの思想自体を超えて、個人の自由を重んじる近代的契約主義を極限まで突き詰めた時に、反対項に位置するはずの全体主義に行き着く逆理が問題なのだ。
ルソーの社会契約論は、自由な個人と国家を直接結びつける形を想定していた
リヴァイアサンは共同体の<外部>の存在であるという主張は読み取れていなかった..
疎外について
マルクスとマックスヴェーバーの立場の違い
疎外は人間が支配・被支配関係におかれていることに意識に上らないことで成立している
神が死んだ後、そういった疎外状況のからくりに気づいていないことを嘆いたのがマルクス 影響の構成について
影響は権威や名声などに結び付けられやすいとされているがそうとは限らない
少数派のサクラがフェイクで指摘した色について、意識下の色(補色の残像)に関しては影響を受けた
権威などによって、対象に関して熟慮されずにうけた情報よりも、少数派の意見を対象として解釈するため影響される
批判的に考えたりするため
貨幣と贈与
モースとレヴィ=ストロースの立場の違い
二項対立ではなくどちらも意味をなすものである