幾何学の起源
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幾何学の起源 (1976) (現代思想叢書) を読んでいるtasshi22.icon
本編の5倍近く文量があるデリダの処女作
命題
全ての命題は主観で出発するのに、理念性を諸幾何学とそうでないものに分かつものは何? ≒言表されることでその理念性においていかに客観的になるのか
理念性には二つある
言語概念に従属する理念性
最初の創見者の心の意識空間内の形象であったその本源的な人格的内部的起源からいかにしてその理念的客観性へと辿り着くのか
サマリー
全ての科学(演繹的科学)には沈殿した伝統の運動がある
新たな獲得物は全て再び沈殿し、つぎに来る研究の素材になる 本源的な所産出と本源的に追産出を行う他者へとこのように実際に伝えられるというだけでは、(中略)生きていない時代にさえも存続する「理念的諸対象」の現存がかけている
記録された言語表現はここで重要な役割を果たす
明証を蘇生させることができる
ex.ニュートン「プリンキピア」が言語で表象されているのは重要tasshi22.icon
産出された精神的形象(≒さまざまな物)の伝播と反復作用
「消え去った」経過と過去的存在とは当の主観にとって無になってしまうのではなく、再び呼び覚まされうる(中略)
初めはぼんやり呼びおこされ、ときには次第にはっきり現れてくるものの受動性には、想起の可能的能動性が属し、その中で過去の体験が見かけの上で新たにかつ能動的に生きぬかれる
理性ある人は、主観的に追体験することができる
しかしわれわれが感情移入の機能と、そして感情移入および言語の共同体としての仲間の共同体を考慮するや否や、客観性がーある初歩的段階においてー生じてくることはよくわかる
共同体の開かれた地平
感情移入の関係は他者との相互理解であってこの関係をもとに他者と交渉を持ち
他者と共に何らかのある特別な共同関係に入り込み
このような共同関係にあることを習慣的に知ることになる
正常なしかたで互いに十分理解しつつ語り合える能力の共同体が重要
そこに普遍的言語が属している
幾何学の明証化とは、人がそのことを明確にしていようといまいと、その歴史的伝統を開示することである
現在はたがいに含み合う過去の連続を含んでおり(以下略)
歴史とは、元来、根源的な意味形成と意味沈殿が共存し含み合う生きた運動にほかならない(P.293)
必当然的なものは、一義的な言語によって確定しうるし、流動していく
歴史主義には、(中略)真に必当然的である明証を要求するような研究のためには、ほとんど感受性を期待できない
「各々アプリオリがあるから歴史的アプリオリの明示とか不要」という反論への反論
ヨーロッパ的ー合理的、神話的ー魔術的の論理体系がそれぞれ調和していること
民族によって作ってきた世界が違うから論理も違うよね〜という安易なアプリオリの定義への批判
構造主義前夜。。。!tasshi22.icon
われわれは自覚さえすればいつでも、反省することができ、地平へ眼を向けて解釈しつつその中へ入り込んでいける
必要に迫られる実生活において、柔軟に特殊化が行われることは普通にある
技術的実践がいつでもすでにある種の漸進的方向に沿うて、より好まれる形態の製作とその改良を目指した
ex.実用的な理由から平面の制作とその完全化(研磨)が機能している
いずれの文化にも存在する考え方で完全さの段階が違うだけ
理念化の際に、普遍的な内実、あらゆる仮構的変更において不変な内実が考察されるかぎり、あらゆる未来と来るべきあらゆる人間世代にとって追理解の可能な、伝承の可能な理念的形象が生まれる
同一の相互主観的な意味で追産出することの可能なもの
感想
フッサールが主張してきた現象学的還元の核心を成す著書なのには納得。主張がわかりやすい 幾何学は客観的であることを要求されているからテーマとしては避けられなかった
幾何学≒科学の話にのみに限定すると普通に誤読しそう
本質観取をもう少し理解したいtasshi22.icon いきなりデリダ序説を読む前に、解説やその他寄稿に目を通す予定