気になることについての、気になること
GTDは「気になること」そのものを扱うのではなく、「気になることについての、気になること」を扱うのではないかという仮説です。
これまでにタスク管理のScrapboxで出てきていた「気になること」が気になっていました。
これぞまさに文字通り「気になること」
つらつら考えるうちに気になることの二重構造があるのではないかと思いました
前(最初)の「気になること」は人間としての無意識(といえる程度のレベルの意識)の問いと反映
次の「気になること」はGTDとしての意識しての問い(「これは何か?」)と反映
最初の気になることは、その人がそれまで育んできた認識(歴史)に基づいて対象に問いかけた上で生まれる認識(気になること)が生まれたものでその有り体は千差万別だと思うのです。
その次の気になることは、アレン氏の定義する「気になること」
望んでいる結果がはっきりしていない
次にとるべき物理的な行動が定義されていない
望んでいる結果や次にとるべき行動を適切なタイミングで思い出させてくれるリマインダーが設定されていない
例えば読書を例にあげます。
同じ本でも違う人が読んで、本の中での「気になること(箇所)」は同じでははありません。
その「気になること」に対して、自分が何を望んでいるのか、どう行動すべきなのか、忘れてしまうのではないかが定まっていない時
その時に始めて「気になることについての、気になること」が生まれます。
そこで始めてGTDとしてのワークフローが活躍する
それまでは人間としてのワークフロー
そうして最初の「気になること」の多様性と次の「気になること」の画一性が調和するのではないかと考えました。
ただし、果たしてGTDの画一性だけで充分かという議論の余地はありそうです。
rashita.iconたとえば、「「気になること」が気になっていました」に対して、「つらつら考えるうち」とありますが、これはGTD的な処理がなされたのでしょうか(つまり、つらつら考えるリストがあって、そこに入っていた?)。それとも、そうした処理系とは別の処理系が動いていた(言葉通り、つらつら(おりおりに)考えた)のでしょうか。
玄武.icon「気になること」を「考える」という「やる」ことにしたのはGTD的な処理で、その後に「考える」という行為(行動)の内には別の処理系が動いているように思えます。
ただ、普通のGTD的な処理と少し違うのは自分が常にタスク管理について考えることをしており、わざわざリストに入れていないという部分があります。 「考える」をさらにGTD的に処理をして、物理的なアクションになるように、頭の中でひねくるのか、紙に書き出すのか、アウトライナーを使うのか、ネクストアクションとしているぐらいにGTD的な処理をしているのは、あるかもしれません。
rashita.iconここでの、GTD的な処理をもう少し具体化したいですね。いわゆるワーフクロー図で紹介されているような一連の手続き、ということでしょうか。 玄武.iconここでの、GTD的な処理はおっしゃる通り、いわゆるワークフロー図に則ったものです。
ただ、今回は、半ばルーチン的に行なっているタスク管理について「「気になること」が気になっていた」」を「考える」ことだったので、リストなどに入れずに頭の中でGTD的な処理をしたことになります。
そのGTD的な処理も、前出の『「気になること」を「考える」という「やる」ことにした』(そして、物理的なアクションとしては「頭の中でひねくる」)という程度のものでした。
一般的な「気になること」であれば、インボックスに入れてから、GTD的な処理(ワークフロー)に寄ってリストにしています。
例えば机の上のゴミが気になったので、インボックスに「机の上のゴミ」とだけ入れたとします。
ここでの気になることは「机の上のゴミ」です。
気になることの気になることは、「その机の上のゴミが何(を意味するの)か?」です。
rashita.icon少し把握できていなかったのですが、この部分でわかりました。「気になることについての、気になること」ということですね。
玄武.icon絵も「自分が気にしていることは何なのかを気にする」という言い方も非常にわかりやすいです。
rashita.iconありがとうございます。
玄武.icon少し続きのようなものを考えてみました
玄武.iconそうですね、「気になること」の「気になること」では、わかりにくいなと思っていたので、「気になることについての、気になること」に修正します。
冒頭に持ち出した話がわかりにくかったような気もします。
そうして、GTD的な処理にかけると、行動を起こす必要があるのなら、ネクストアクションを考えることになりますし、行動を起こす必要がないとして、無視していいなら「ゴミ箱」に、自分がそう感じたことを記録して「資料」にしたり、そのほかに「いつかやるリスト」に加わることになります。
いつか「なにを」やるのか?という箇所が抜けてしまうので、あまりいい例ではなかったかもしれません。
ん? 話はズレて行きますが、そもそもGTDのワークフローで行動を起こす必要がない場合でも、いつかやるリストに入れる前には、次のアクションは?を考えるフローが必要になりそうです。
さすがに前後の文章を端折りすぎました。正確には「きれいにしておきたい机の上にゴミがある」ことが、気になることです。
「気になることについての、気になること」は、「これは何か? 行動を起こすべき?」
もしここで、気になることの正体が、食べたおやつの包装紙をそのままにしたっていうことがわかってもそれだけでストレスフリーにはならないでしょう。
そうではなく、気になることについての、気になることが、はっきりするところにストレスフリーが存在するのだと思うのです。
GTDのワークフローは、必ずしも「気になること」の正体を明らかにしてくれるものではない。
「気になることについての、気になること」を明らかにしてくれる。
「気になること」そのものにとらわれるのを防いでくれるのでは?(仮説)
GTDの行動療法的な一面?
気になることに対して、「行動する」か、「行動しないことをする」のか。
考えるという行動については、一考の余地あり
悩んでいるのは「状態」で考えるのは「行動」
どっかで聞いたような話
ワークフローでは、これは何か?の問いに答えているのではない
「これは何か? 行動を起こすべき?」に答えている。
メモ
Previous 気になること、Next 気になること
takahrt.icon GTDのワークフローの話に限れば「机の上のゴミ」を手に「これは何?」のあとに「これはゴミだ→ゴミ箱に入れる」のアクションにならないのはどうしてでしょうか?
玄武.icon「気になること」の構造や発生した状況ががシンプルな時は、人間としてのワークフローで済む話で、そこにわざわざGTDのワークフローが出る幕はなくなると思います。
これもまたゴミの例えが悪かったですね。例え話は難しい。
そこをあえてゴミにこだわる「ワークフローに突っ込む話」なのか
実は、ゴミは例えとして不適切で、メモ片くらいが良かったのか
どちらか、あるいはそれ以外のテーマでお書きになってるのか。少し教えていただけるとありがたいと思います。自力でも解釈できるようもう少し読ませていただきます。
ゴミとは悩みの象徴でしょうか?
読み返しましたが、ゴミはゴミなんですね。お気づきかと思いますが、ワークフローに「ゴミ箱行き」があるのにゴミを手に「これは何」は何故なんだろうと一読者として悩みましたが
とりあえずゴミを「雑多な物」に置き換えて読んでみました。
雑多な物の整理にGTDのワークフローを紐づけるなら、高度モデルで回すといいとわたしは思います^_^