「セルフマネジメント」の解釈の違い
玄武.iconまとめます。
マネジメントそのものは、管理者が対象を管理する活動全般を指し、その中で、自己管理(実行者と対象が自分)なものをセルフマネジメントと位置づけるのがナチュラルです。
上記の内容で納得がいきました。
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私のセルマネジメントは、自分の(もしくは自分が行う)マネジメントというイメージでした。
マネジメントの矛先が自分であろうが他者に向けられていようが、それはセルフマネジメントという解釈でした。
ただ、どうやらこの解釈は一般の解釈と私の解釈とでズレがあるようです。
セルフマネジメントとは、日本語でいうところの“自己管理能力”。 目標や夢を叶えるために、自分自身を律するための能力です。 自分の感情をコントロールし、モチベーションを保つ力や、仕事の生産性を維持するためのタスク管理能力なども含まれます。
Wikipediaから引用しようとしたら、セルフマネジメントというページがありませんでした。
少し引っかかるのが自分自身を律する(自律)と自己管理です。
これらの言葉に悪か善といったことまで含む人もいれば、含めない人もいそうです。
もちろん、その人が自分がむしゃくしゃしていることを理解して、「ほげほげを誹謗中傷する」というタスクをリストに書いているならば話は別ですが。
もし上の状況にあるときに、その人はセルフマネジメントが出来ていることになります。
rashita.iconそうなると思います。なぜなら、そうすることを当人が意識的に肯定しているからです(これは極めて難しいことです)。そうしてしまうことと、そうすることを意識的に肯定することには天と地ほどの差があります。
rashita.icon僕が誰かのことをものすごく嫌いでも、タスクリストに「hogehoge氏を誹謗中傷する」とは書かないでしょう。というか、書けないと思います。書こうとしたときに、手がとまるはずです。そこで、自身の規範性が働くからです。でもってこれがタスクリスト=タスク管理の一番の肝だと個人的には思います。下のアリストテレスの話も参照してください。
例えば、少し物騒な話ですが、銀行強盗をしようと夢を叶えるために、銀行までの道順や銀行の構造を頭に叩き込み、身体能力も鍛え、何事があっても動じない自分の感情をコントロールして、仕事の生産性を維持するためのタスク管理能力も持ってして成し遂げたとしましょう。
自分自身を律する(自律)、自己管理はバッチリです。
実行者である自分が、対象者である自分の行動その他もろもろを、ある状況・状態に向けて、意識的に制御していく一連の行為群
ここにある「ある状況・状態に向けて」ている方向性が善であれ悪であれセルフマネジメントというのか、善の方向のみをもってしてセルフマネジメントというのか人によって解釈が分かれそうです。
rashita.icon私の場合、「ある状況・状態に向けて」は、一般的な意味での「善であれ、悪であれ」の両方を含む意識です。とは言え、もし善悪という言葉を持ちすならば、それは「善」である、ということです。これはアリストテレスの考え方を参照しています。
人間が意識的にある状態に向かおうとするとき、それは善を志向しているのだ、ということです。
たとえば、子供用のストーリーでは「悪の秘密結社」なるものが出てきますが、現実の世界に「自分たちがやっていることは悪だ」と認識してる組織は稀でしょう。
テロ組織ですら、倫理的に悪だと判断されることは承知の上で、何かしら「良いこと」(日常的な善悪の善ではなく)をやっているのだと感じているはずです。いわば、自分たちが意義を認める活動に従事しているという感覚です。意識的な行動において、自分が感じている意義を壊していくことは、精神が破綻していないかぎりは、起こらないだろうと想像します(意図的でない行動は除いて考えています)。
自分が何かをやろうと意識的に思うとき、それはその意識にとってプラスになる(意義が感じられる)行動が選択される、ということです(このニュアンスは難しいですが、とりあえず、自身にとっての善を追求するあるいは、そうして追求されるものが当人にとっての善であるので、意識的な「悪」の志向は不可能である、と捉えていただければ幸いです)。
マネジメントは、意識的な活動なので(最終的にそれが無意識=習慣に取り込まれるにしても、自身の行動を制御しようというメタ認識は意識的にしか起こり得ません)、それは必ず善を目指します。
逆に言えば、無意識のままただ行動しているのは、非セルフマネジメントな状態と言えます。もしそれがセルフマネジメントに含まれてしまうなら、単に人間の行動すべてをセルフマネジメントと呼んでいるだけになるので、この言葉の意味が消失してしまうでしょう。
まとめると、世の中からの評価である善や悪は別にして、管理者が「そうありたい」と意識的に思う状態(これが内部的な善)に向けて、対象を制御していく行為がマネジメントであり(よって、悪の組織にもマネジメントは必要)、管理者=自分(の意識・自我)、対象=全体的な自分となるものが、セルフマネジメントだと言えると思います。
ちなみに、そもそもはマネジメントという言葉があり、それのセルフ版がセルフマネジメントです。つまり、親は確実にマネジメントです。マネージャーの仕事、マネジメント層の仕事が、マネジメントであり、それと同じ「手つき」で自己管理(自分によって行われる管理)を行う言葉として、頭にセルフが付与されたセルフマネジメント(Self-Management)が定位されたと考えるのが自然でしょう。
よって、マネジメントそのものは、管理者が対象を管理する活動全般を指し、その中で、自己管理(実行者と対象が自分)なものをセルフマネジメントと位置づけるのがナチュラルです。
マネジメント(全般)
セルフマネジメント(マネジメントの実行者と対象者が同一)
セルフではないマネジメント(マネジメントの実行者と対象者が同一でないもの)←会社で行われるマネジメントは基本的にこれ
「自分が行うマネジメント」は「self-自分自身によって」、ではなく 「my-私の」などが適切ではないでしょうか。
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マネジメントとセルフマネジメントの違いは、まだうまく位置づけられていないです。なんとなくマネジメントは、一般論としてマネジメントで、セルフマネジメントは、マネジメントの特殊論としてあるように思えます。
自分が行うマネジメントが「セルフマネジメント」で、他者が行うマネジメントまでふくめたのが「マネジメント」と思っています。
セルフマネジメントは、自分に向けられたものだけなのか、他者に向けられたものまで含めるのか?
セルフマネジメントは、善(良いこととされるもの)にむけられたものだけなのか、悪(悪いこととされるもの)にも向けられたものまでふくめるのか?
ちなみに玄武のは、セルフマネジメントは自分にも他者にも向けられた自分が行うマネジメントのことで、ある状況・状態は善でも悪でのどちらに向けられたものも含みます。
そもそも善か悪かは、どちらの立場からみるか相対的なものでしかないです。
一般的にいわれる「セルフマネジメント」の拡大解釈なのかもしれません。
自分が行うマネジメントが「セルフマネジメント」で、他者が行うマネジメントまでふくめたのが「マネジメント」と思っています。
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上記の部分の書き込みを拝読いたしました。私のセルフマネジメントの理解が足りていなかったようです。ありがとうございます。
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