枷がない
家族も理由にならない
「家族が悲しむ、もしくは後始末が家族の負担になるから死ぬな」とかいう言説があるが
その理由があったとしても必死に生きられない
「家族の負担になる」のと「生きるのを諦める」のとの2つの選択肢があった場合、最終的には後者を選んでしまう 「なにか誰かの役に立つものを作り出してから死のう」という言説
/takkerやその他のscrapbox projectを通じて何かしら情報を残しているので、そもそもtakker.iconには成立しない どれだけ役に立っているかはわからないが
UserScriptに関しては使ってくれている人がいるので、役に立っているのだと思う
typo修正程度だが、GitHubにいくつかPRを出したことがあるので、何かしらの貢献はできているだろう
仮に何も作り出していなかったとしても、「生きるのを諦める」選択肢から手を妨げる箍にはならない
箍にならないのは、「迷惑をかけるからやめろ」や「作り出す前に死ぬな」などの言説に、具体的な方法論が一切含まれていないからだろう 仮に死なないが目標だとして、そこまでの道のりを全く示してくれない 結局問題解決できないので、生きるのを諦めてしまう
なにか特定の属性を持った障壁が少しでもあると感じてしまうと、達成したかったはずのことを簡単に諦めて放り投げてしまう 卑近な例:
「この計算練習を全部やったらおやつをあげる」と言われたら、おやつを諦めて何もしない
「この問題集を解き終わったらおもちゃをあげよう」「じゃあいらない」
あの逸話は、何回か自分の欲しい物を手に入れようと色々行動しているからちょっと違うかも
ちなみに諦めてはいないが障壁を取り除けなくて結局やらないパターンはAするまでBしないに該当する cons: 理由がないと必死に生きられないのか?
ここキーだなtakker.icon
2通りある
これはまず見つからないと思う
ガチャ引くより確率低そう
仮に見つかったとしても、それは呪いともはや変わらない何かだろう 民主主義と同じく、そもそも夢ややりたいことにそんな力を求めるのがおかしいのかもしれない。 ほっとけばもろくてすぐ崩れ去ってしまうもの
不断の努力をもって、守り維持し発展させねばならない かつて凡庸に見えた近代的民主主義は、個人の自由を最低限確保してくれる政治体制である。それは必然的に到達する「歴史の終わり」ではなく、不断に目指し続けなければならない「歴史の目的」なのである。それは明日にでも、外部から、あるいは内部から、簡単に奪われてしまう脆弱な制度でしかない。