要するに疲れたのである
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ミュートするんじゃなくて、ブロックするんじゃなくて、そのクソくだらない post のなかにまぎれてるちょっとした、ちゃんとしたものを拾い上げたい、みたいな
実際にはブロックもするし、見たくない文字はミュートしてたりするけど、それでもそういう心意気で
人生は短いので、それぞれが、それぞれのスタイルで
バッサバッサと降り掛かってくるなにかをちぎっては投げ、払っては切り捨てる感じ
要するに疲れたのである
要するに疲れたのである。なんだかみんながずっと怒っている感じ、感情がぶつかりあう感じに、疲れたのである。そういうことを言うと「タイムラインは整備するものですよ」みたいなことを言われる感じに疲れたのである。
疲れとはなんなのか?
疲れ、疲労
共感疲労
compassion fatigue
他者の苦しみや悲しみに接したとき、感情移入しすぎてしまい、無気力状態に陥ってしまうこと。燃えつき症候群に似ており、心身が疲労して、心のエネルギーが低下してしまった状態。1990年代に、新しいストレスの名称として精神医学界で使われはじめた。がんなどの末期患者と接する医療従事者や、外傷後ストレス障害(PTSD)患者の家族など、苦しむ人を支援したり、苦しみを目の当たりにする人に起こると報告されている。直接ではなく、間接的に、トラウマ(心的外傷)となりうる出来事に直面した場合に陥る心の状態。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生後、大津波が家屋や車をのみ込む場面や、変わり果てた町の惨状など、悲劇的な映像や報道が続いたため、被害に遭わず無事に過ごしている自分に罪悪感を抱いたり、無力感に陥った人が、多くいたとされる。精神科医の香山リカは、こうした心の疲れでいたずらに消耗しないため、あえて悲惨な映像や情報から自分を遠ざけ、休ませることが必要だと警告している。共感疲労は01年9月にアメリカで起きた同時多発テロの際にも見られた。
CiNii 論文 - 「共感疲労の最適化水準モデル」とファンクショニング概念の構築に関する研究
共感疲労の概念の創始者である Figley,C.R
共感
共感(きょうかん)、エンパシー(empathy)は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである インターネットの人が、通常の人たちよりも、膨大で密度の高い情報を浴びるなかで疲れてしまう、その原因にあるのは共感だと思う 感情はコントロール出来ない。どのように扱うべきものなのか。扱うことが可能なのか
実際には本当に感情そのものを共有しているのではない
自分の中に仮想的に、相手の感情を作り出している
情動的共感と認知的共感
共感のしやすさ(共感力)を客観的に測定するテストとして、対人性反応性指標(interpersonal reactivity index,IRI)が広く用いられている。IRIでは、他者の幸不幸に共感する気持ちを評価する「共感的配慮」、他者の立場に立って物事を自然に考えることができるかどうかを評価する「視点取得」、フィクションの人物に感情移入する傾向を評価する「空想」、他者の不幸な境遇を我が身に置き換えて恐怖を感じる傾向を評価する「個人的苦悩」の4つの尺度で共感力を測定する。 共感は、他者の感じていることを自分の感覚として感じる感情的側面と、相手の立場から見えるであろう状況を推測して分析する認知的側面によって成り立っている。上記の4つの尺度のうち、視点取得のみが認知的共感に分類されており、他の3つは感情的共感に分類されている。また、共感力は他者の表情や声色といった社会的信号の感受性にも左右される。
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