洞窟の比喩
洞窟の比喩
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グリック「タイムトラベル」読んでいる。第4章「古の光」(いにしえのひかり)にプラトンの「洞窟の比喩」が出てくる。
あはは。解らないからって怒るなよう。事実なんだからさあ。科学や哲学というものはね、とにかく自分の偏見を疑わなきゃならないんだよ。こういうのを洞窟のイドラとかいうんだ。ええと、たしかベーコンだったかな。燻製肉のことじゃないよ。イギリスのユートピア思想の方の哲学者だね。フランシス・ベーコン。このひとがいろんな偏見・虚妄を分類したんだけど、その中でも洞窟のイドラというのはもとはプラトンの有名な「洞窟の比喩」に拠るものなんだ。洞窟にね、岩があって、そこに囚人が洞窟の奥しか見れない方向に括りつけられるんだ。洞窟の入り口には焚き火があって、その明かりによりなんだか洞窟の奥の壁に影が見えるんだ。この囚人は果てしなくここにいるので、この影を本物の存在と思っている。つまり、この囚人にとっては世界で動くものは平面の像しかないと認識しちゃうわけ。まあこんなことから、ベーコンが言った洞窟のイドラという虚妄は、個人の固有の偏見に拠るようなことを言うんだね。 ベーコンが「各人に固有の特殊な本性によることもあり、自分のうけた教育と他人との交わりによることもある」イドラとしたもので、狭い洞窟の中から世界を見ているかのような、各個人がもつ誤りのことである。それぞれの個人の性癖、習慣、教育や狭い経験などによってものの見方がゆがめられることを指し、「井の中の蛙(かわず)」はその典型である。
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