地図、領土、世界
地図、領土、世界
中世と現代
中世の読者にとってテクストとはいわば自分が住む世界であり、ページの表面とは、旅人が足跡や道標を辿ってある土地を旅するように、文字や言葉を辿ることでその地理が把握できるひとつの国である。 それとは対照的に、現代の読者にとってテクストは白いページの上に印刷されたものとして出現するが、それはまさに世界が既成の完成された刊行地図の表面に印刷されたものとしてあらわれるようなものである。 語る記述
作家は、植民地征服者が地球に、都市計画者が荒地に対峙するがごとく、白紙に対峙して、その上に自らの制作を重ねていく。植民地支配された空間に社会がつくられるように、また地図で囲い込まれた空間に都市がつくられるように、書かれたテクストはページという空間のなかで制作される。 ルネサンス期以降の記述は、表面とそこに築かれるさまざまな構築物の所有権を主張する点において中世の書物とは根本的に異なっている。 中世の書物は、制作されたものではなく語るものと理解されていた。
中世の書物の規範は聖書だった。ド・セルトーによれば、読者は聖書の記述が語る声を聞き、そこから学ぶことが求められていた。
第3部 大地と天空 第8章 「大地のかたち」
たとえば、私が述べてきた実験のなかで描き出されたいろいろな絵は、表象ではなくてちょっとした絵文字なのであり、それによって私たちは、自分自身についてのそれぞれの物語や、私たちが居住している世界を自分がどのように理解しているかについてのそれぞれの物語を伝えているのである。 しかも、子どもが天空や地面や惑星を描くのとまさに同じように、川も谷を描いているし、鋤も畑を描いているし、船も海洋を描いているし、測量士も地図を描いているのである。いつでも、そしてどんな方法でも、大地を描くとき、私たちは新しい線をこのごた混ぜに描き加えている。 つまり、描くことが私たちの住まう世界を形づくり、なおかつそれが私たち自身の人間性を形づくるのである。 第4部 物語られた世界 第12章 「空間に逆らって、場所、動き、知識」
歴史上、狩猟採集民族も農耕民族も牧畜民族も、人びとはみな土地を頼ってきたのであって、空間を頼ってきたのではない。 農耕民族は、大地に作物を植えるのであって空間にではないし、 田畑から収穫するのであって空間からではない。 家畜は、牧場の草を食べるのであって空間の草を食べるのではない。 旅人は、国を通り抜けるのであって空間を通り抜けるのではないし、歩いたり立ったりするとき、 地面に足を踏み入れているのであって空間のなかにではない