読書について 2024/05 ゴールデンウィーク
応援するサッカーチームが負けたので、イライラして散歩に出かけて、そのまま本屋に寄って2冊買ってきた
まあ実際の話、読んでいるのは大学の基礎教養の教科書なわけだが
ということで、とりあえず『分析哲学講義』 の方をパラパラとめくっている 巻末の文献紹介を読むと(当然、一番最初に読むページなわけだが)、いま自分がウロウロしている界隈についての視座を捉えている本だということがわかる
分析哲学と言語哲学の関係が全然わかっていなかったんだけど、『はじめに」で非常に簡潔に、そして第1章「分析哲学とは何か」でもうちょっと具体的に説明されている
たかだか270ページくらいの新書なんだけど、パースペクティブが捉えられていて、すごい(プロはすごい)
じゃあ、最初からこの本と出会えたらよかったのかというとそうとは限らなくて、おそらく右往左往しながらここまでたどり着いたからこそ、この本の意味がわかるというか
「読める、読めるぞ、」みたいな感じ
こんなふうに、重力に引っ張られてそれに関するもの(分析哲学の中でも特に言語に関わるところだったり、論理学についてだったり)ばっかり読んでいると、偏っているんじゃないか、と思って全然違う分野とか手を出してバランスをとりたくなってしまう。そういう性分だったりする。
ブレーキを掛ける性分
ただまあ、インターネットに長くいて知ったことの一つは、「気にするな、行けるところまでいけ、ブレーキなんてかけるな、死にゃしないんだから」だったりするので、
行けるところまでこのまま行ってみようか
読書は、論理学を放っておいて、先週末買った新書、青山拓央『分析哲学講義』を斜め読みしていた。いまやっている論理学は「読書」って感じではないのでなんか久しぶりに本を読んでいるような気がした。本当は全然違うものを読みたいような感じだったんだけど、それをやってしまうと、せっかく定まった掘りどころをまた途中で放り出してしまうのが怖いのと、ちょっと日和って差し障りがないところを選んだ、みたいになっている。 まあそういう、ちょっと日和った選択だったんだけど、本そのものは、いま自分が掘っている場所と、そこに転がっているアレコレの関係が明確に示されていて、巻末には関連書籍もたっぷり載っていて、これは最高の本だった。
一番最初にこの本を読んでおけば、みたいなことを思わないでもないんだけど、たぶん数ヶ月前にこの本を読んでも全然意味がわからなかったと思う。そもそも買ってこなかったと思う。読書にも積読山脈にもそういうところがある。
読む順番や流れや、そういう繋がりの話。だから誰かがオススメする本とかがそのまま自分に響くかというとそんなことはないし、誰かにオススメしたいみたいな気持ちもなくはないけど、これはその逆向きな話なわけで、たぶん全然伝わらなかったりする。いま僕は全然繋がり関係なく適当に本を選ぶことができない。過去から未来に向かって一繋がりに読むしかできない。その繋がりは自分にしか見えない。