流れを読む話
流れを読む話
自分のペースが保てないときには、流れに逆らうんじゃなくて、流れに上手いこと乗るようにするべき。
なぜか? それは自分がやりたいことがあったから。何かしたいことがあるという、ちょっとした気持ち、「我」が、それを邪魔した。「我」を出したり引いたり、自在に操れるようにならないとダメ。
したたかさとか邪気のなさとかそういう強さ。
悪いときは悪いなりに、良いときは良いなりに、そこになにかの流れを見出していくことが surfing の意味するところだと思う。みんな大好き dashboarding や tumblelogging にもそれと同じ意味が含まれている。
あれをしたい、これをしたいという「我」を張らないようにした。正月は神様のためのものなので。ここで簡単に「神様」と言っているけども、ようは「自分ではない何か」全般を指して「神様」と言っている。
出来ることなら年末年始という特別な時だけではなくて毎日をそういうふうに過ごしたい。
クルマ、運転を覚えたのがキャブの1.0Lのミニでスピードメーターと水温計と燃料計しか付いてなかった。だいたいクルマからの情報はエンジン音かハンドルからの反力か視界からのスピード感でダッシュボードなんてろくに見やしなかった 世界というものはコントロールできないものである、という前提
であるからこそ、流れを読む、流れに乗ることが大事
それから、であるからこそ、コントロールできること(コントロールするべきこと)に集中すること