日記、なに書いた?
日記、なに書いた?
タイトルは、下のリンクの「昨日、なに読んだ?」からの書き換え
「本を読んでいる状態」と「本を読んでいない状態」の間に多くの中間状態がある。流し読む、ページを飛ばしながら読む、前書きと後書きだけを読む、中の一章だけを読む、ページを千切りとりながらその断片を組み合わせて読むなどとほとんど無限のグラデーションがある。
それでも私たちは本について語れるし、まともな意見を述べることができる。
本を規定するのはその内容ではなく、それが身を置くコンテクストだからだ。
そもそも「本を読んでいる状態」とはどのような状態なのか。
作者の意図、本の論述とコンテクストをあまねく理解している状態というのが一般的な理解だろう。でも、それはただの幻想だ。
私たちは読んでいる最中でも 、片っ端から忘れていくし、読んでいる時に自分のフィルターをかけて内容を歪めながら「理解」していく。
その意味で、本を読むことや本について語ることは対象への没入ではなく、常に自己に関わるある種の批評的な行為である。
書物は私たちの自己の中で新たに生まれ直すといってもいい。
この引用(断片)は、日記の話に繋がりそうな、繋がらなそうな、
今日一日を千切りとりながらその断片を組み合わせて
今日という日を規定するのは実際に起きた出来事ではなく、自分が身を置いていたコンテクストだから
私たちは今日という日を過ごしている最中でも、片っ端から忘れていくし、
今日という日を過ごしている最中にも、自分のフィルターをかけて事実を歪めながら「記憶」していく
日記を書くとき、今日という日は私たちの自己の中で新たに生まれ直すといってもいい
日記は、記録? 文学?