ざっきめもっ!
あゐであの泉問題でさ、人間の思考は水道とかのイメージでさ、蛇口をひねってダバーっと出したいときに水/アイデアを出せる/思考出来る人もいれば、例えばその栓が緩くてジャバジャバでちゃう人もいるし、水圧が強すぎてちょっとバルブ捻っただけでドバああああああってあふれる人がいればチョロチョローとしか出てこない人もいる。
俺の場合はあの、湧き水?もうバルブとかも無くてさ永遠にダダ漏れちゃうもんで止まらねえんだ。まあ思索すること、一つ一つの物事に対して真摯に向き合う姿勢自体は楽しいし好きだけどそのせいであらゆることに対して思考が先走るせいで集中力とかは全然保てねえんだこれが。
それにそれを言葉にしたり文章に纏めたりするのはだいぶ難しい。水道の蛇口のように水圧を調整したりできればいいけど、湧き水のようにダバダバ溢れ出るそれを掬って水筒いっぱいに詰める/言葉にするのが、これもまた難しい。
この雑記メモは溢れ出る湧き水にホース直接突き刺して池に溜める感じの雑記メモです。
シエクスピアってすげえって話。
ロミジュリ読んでるんだけどさ、
げに、幾朝いくあさも/\、未まだ乾ひぬ露つゆに涙なみだを置添おきそへ、雲くもには吐息といきの雲くもを加くはへて、彷徨うろついてゐるのを見掛みかけたとか。されども遠とほい東方ひんがしの、曙姫あけぼのひめの寢所ねどころから、あの活々いき/\した太陽たいやうが小昏をぐらい帳とばりを開あけかくれば、重おもい心こゝろの倅せがれめは其その明あかるさから迯戻にげもどり、窓まどを閉とぢ、日ひを嫌きらうて、我われから夜よるをば製つくりをる。良よい分別ふんべつをして此この病やまひの根ねを絶たたねば、一定ぢゃう、忌いまはしい不祥ふしゃうの基もとゐ。
坪内逍遥訳より引用ーーー
坪内の訳がすきなのもあるんだけどさ。だってロミオとかハムレットとかが「〜じゃぁ」とか「〜〜してくだされぇ」とか「予(わし)はもう」とか言ってるの、なんか、めっちゃおもしれーじゃんって。
演劇ってなんやね?歌舞伎?みたいな時代で、現代演劇を日本で「新劇」っつって開拓してったひとだかんね。
架空に歌の歌詞考えるやつ
(スローペース)(優しく)
波と虫の音 ただ午前4時 淡く燃える空
ただ暗い夜に一人 取り残されているようです
(転調)
(楽しいドラムで軽快なギター)
混み✕2のフェリー横目 空を泳いでいるカモメ
座る席もなくじべたにちょこんと体育座り 大人の白い目
酔ってきた 船の揺れか 或いは夏の海風か
旅に乾く心臓にモンエナをひとつまみ
(転)(Bメ?)
鼓動は高まっていきます
旅の開始を告げる汽笛 クソ重い自転車を担ぎ
(↑こだわり。早口)
離島へ上陸 駆け出そうか
(サビ)
イマ 夏が始まる予感がする
夜明けには眩しすぎる夏を胸いっぱいに
思考を捨て去って 走る獣のように
イマ 旅が始まる予感がする
海風を帆で受けるように進んでいく
日常を抜け出して 走る冒険のように
吹き付ける潮の香りに目を開き
足首を撫でる露の感触に息を吐いた
潮騒 の音がまだ鳴り止まない
潮騷が風化してくれるはずの心臓
靄(もーや)
、
。
記憶
他人についての記憶で、一番最初に忘れてしまうのは声らしい。その次に忘れてしまうのは顔で、最後まで覚えていられるのは匂いだそうだ。
きっと君はこれからの旅先で本当にいろんな人々と出会うんだろう?きっと僕なんかはその内のほんの一人に過ぎないんだ。きっと離れ離れになったら、薄情な時と過ぎる日々が僕の事を忘れ融かし、存在も記憶も名前も全て忘却の彼方にひっそりと仕舞って、君は僕の声も顔もすぐに思い出せなくなるんだろうな。だからせめて匂いくらいは、君の記憶に鮮明に焼き付けてしまえないだろうか。
五感の内、嗅覚だけは海馬に直接繋がっているそうだ。確かプルースト効果だったかな、紅茶の香りのフラッシュバックで思い出し、事件の真相を紐解いた推理小説があってさ、あれは読んだ。そこそこ面白かった。もし、もしも。もしもいつか違う街で、違う人として、或いは違う人生の中で。君と出会った時に、もしその時に君が匂いだけで、はじめから無かったかのような輪郭のぼやけた、靄に包まれた忘却の彼方に、僅かに淡く光る誰かを見つけられたなら。
それはきっと、凄くロマンなんじゃないかな。
それになんだか最近、怖く感じることがある。
昔の話知人の、顔...ああどんな顔だっけ、あなたはどんな風に話すっけ、あー、名前、えーっと。ありゃ、ダメだ出てこないね。
先輩に然り、恋愛的に好きと結論付ける前にまず先輩として、先に生きるものとして確かに大好きな貴方。一緒にいる時間が幸せで、今を、生きていたいと思えてしまう貴方。多分、大好きなんだろうな。その「好き」がどんなすきかにしろ、好きなんだよ。だから貴方をじっと見ていたい。今この瞬間を味わいたい(“これは食べる事は生きる事”につながるのかな)。あらゆる五感で貴方を感じたい。声と顔は、写真の中に閉じ込めてしまおうか。あとは触覚?あまり失礼のない範囲でね、貴方の手は綺麗なんだ。触れていたい。あとは嗅覚?匂いが他人についての情報の中で最も最後まで記憶していられると言うしね、少々失礼しても...とはいただけないもんな、まあその内だ。それと、味覚?ふーん、食肉、特に人肉ってさ、別に興味がないわけじゃないんだ。僕は”美食家“でもあるからね、もちろん興味を惹かれる研究テーマではあるよ。ああ、貴方はどんな味がするんだろうって考えることはあるけどさ、それくらいは理性が抑えることなど造作もないような論外な訳で、まあチャンスがあればねぇ分かんないけど、興味が好きを超えて相手傷つけるまで行くかといえばそんなことはあり得ないし、好きじゃない人間の肉は美味しいかな、と言われると、それは俺の”哲学“と、“美食“に反するだろうね。そのアンティノミーの前で人食なんてするかって言われたらしないよねー。あでも血ならいいかな?まあ半分冗談だけど。なら深いキスで味覚として味わうとか?いんにゃー先輩の感性ではナンセンスかな?じゃあせめて、おなじ食べ物を共有するとかかな、特にキャンディーとか。きっとキャンディーのような甘い気持ちになるんだろうかなぁ。
恋は、盲目でなければならない。
愛には見返りが必要で、恋には報いが必要だ。
そうゆうもんでしょ。
つまり何が言いたいかって、
叶わない恋に意味なんてあるのかな。
それが叶うはずの無い恋だとして、それでも恋をし続けるとして、それに意味なんてあるのかな。
本当に”哲学“めいた命題だよね。
本当に、滑稽だよね。全くバカバカしい。
少女一人恋するのにも思索が必要なんてさ。
夜はいいね。こう、なんだろ。思索にはぴったりだと思わないかい?夏の喧騒が静まって、僅かに虫の音が聞こえてくる。
まるで世界にただ一人取り残されてしまったような、そんな感じ。
我我は孤独だ、だが独りでない。
みたいな
不老不死とは
要は
欠けない満月
嘘の月
ウソつきの引力 冥途の光
少女たちは魅了される
手を重ね夢を願い
托卵する
嘘つきウサギの戯言は
舞台の上ほどよく響く
哀歓の共有 陽星の廻天
神秘の暴力は流れ行き
なお北辰の満月を共に見上げて
法華経を唱えられぬ卯月鳥
もずちゃんが“てつがく”に触れてくれて本当に嬉しいの限り。自分に無い物に惹かれるって言うのはよく聞くけど、もずちゃんなんて理系の化学で音楽やっててなんてバリ文系の演技と表現についてとかの自分とまるで正反対。それに最も彼に惹かれる要素のはあの精神世界の豊かさだな。彼の内側に竦むカオスというかコスモというか。自分はそれに欠けるからこそそれを開拓して文字達と混沌や小宇宙と踊るのを楽しめる。彼と互いに刺激し合えるなら、それはとても嬉しいな。
やや長くなってしまったので別ページにまとめた。
↓
哲学ってなんだろってもずちゃんがてつがくしてるの見て、やっぱり考えてしまう。結局てつがくは、よく考えることだ。そこに答えはないし、全部が答えなんだよ。果ての見えない禅問答のようなもんでさ。そんな曖昧なわかりにくい問の中で、僅かに光るもの、明確に言い切れるものを見つけ当てる。そんな態度なのかもね。
キャトルカール フランスで4/4を意味し、卵、砂糖、小麦粉のシンプルなケーキお菓子の基本。世界もこれ程シンプルなら...。
イギリスの量の単位、「パウンド」から英語ではパウンドケーキと呼ばれている。
つくる人によってうんと差の出る、宇宙一不味くも、美味しくもなるケーキ。良く言えば個性が出るということだ。
別ページにまとめ
↓
ふと、ふとね?
思ったわけですよ。
「あれ?一年留年すれば〇〇ともう一年追加で生きれるんじゃね?」
この感情と向き合った時はいよいよだなと思った。
恋患い、恋は盲目。よく言ったものだよねとつくづく思う。
このどす黒いとも、ある意味では自分らしくもない普遍的とも言えるこの感情の行く先は、一体何処なんだろうか。
逃げ水も飲み干すような、清濁も一気に飲み干してしまえそうな、そんな恋。
千の日々も昏れてしまえる、幾千夜も一晩も大して変わらないように過ごしている。
倫理も条理も固定概念も一般常識も。
一様にこの感情の前ではナンセンスに置き換わってしまうと言うわけだ。
曰く、人生は喜劇のようなものだそうだ。
喜劇には意味が求められる。
では、我が人生における意味とは?
その“意味”が、ゆっくりと君という輪郭を帯び始めている。
それは少し、いやかなり怖く感じてしまう自分もいて、同時に自分にしてはどうもその普遍的であまりにも人間臭い感情に、安心感を覚えてもいるわけだ。
ただ君と僕との恋の間には一年という年月のズレが生じている。そのズレは、社会一般の恋愛からすれば大した事もない差だが、学生と言うご身分にはどうも広すぎる差だ。留年自体は大学受験の為に一年や2年なんてくだらないなんてひとだっているじゃいか。
いくらでも論理立ててその提言の言い訳をしようとしてくる辺り、本当にお疲れって感じなんだろなぁ。私立の学費は高いし、親の顔もある。子供ながらに子供には子供らしい責任がつきまとって来るのが高校生ってやつなのがねー。
やっぱりそれでも、もっと、一秒でも長く君を感じていたい。あまりにも君が愛おしすぎる。
再三だが、叶わない恋に意味なんてあろうか?
俺はそうは思わない。
重ねて自問する。我が人生における意味とは?
まだ答えを出すには早すぎるだろう。
今はとりあえず、君と共に今日という日を生きて見ようか。
カルペ・ディエム。今日を生きろ。
我が信条だ。
キャンディー、同じ味のね。それを共に舐めていて、同じ味を共有していて。
未だ、センスを見いだせないでいる
結局みんな自分勝手勝手にやれってさ、もう冗談きちいよ。
何で生きなければならないのとかのなんで頑張らなきゃいけなのとかの、未来への不安とか死への恐怖とか、違う、それ以前の人類への諦念
あー、馬鹿な物だね。恋でもすれば変わるかな
糸が切れた人形で遊ぶ子供より無気力感が胸いっぱいに溢れてしまう程ただ強いパトスを恐れている僕は不思議でならない。どうして少女たちはまだ歩き続けられるのか?この絶望的な喜悲劇の中で。日常ほど狂った劇もそう見ないよ。窓の外に映る暗い雲はなんとなく未来を暗示しているように感じれた。
きつりつせーしょーがい
空が白む 逢魔が刻が終わる 日常が動き出す 日々が始まる
街は活気づいている 暗い部屋と対象的な印象
瞬間、など無く、音響も証明も急な変化が求められる
然し、依然として車の音はゆっくりと右から左へ左から右へと聞こえる。陽光はじっくりと部屋を暖める。
一体感が溢れる街の中で、僕は一人だけ浮いているみたい
舞台上なら群像劇の中で、一人浮き、観客の目を引いてしまうだろう。
曰く、俳優が凛と立っているというのも立派な演技という。ストップモーション。音も、光も、他の役者も静止し、そこでうごいている主役だけが鮮明に脳裏にこびりつく、という手法。
僕はきっとそこで転んだ端役。劇に入り込んで熱狂していた観客も、それには興ざめ一つ引いてしまうだろう。
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