AIで物を作るということ(AIcreation)
昨日はダラダラとした日ではあったけど、Aiを使って複製の歴史について考えを深めていた日だった。色々と質問というか、一緒に考えさせながら、ある程度ドメインが揃ってきた段階で目次を考えさせて、一つずつ執筆させてゆく。GPT-4にもなってくると表現の正確さなんかは自分よりも上手くなっている気がしていて、すごく心地よく執筆ができた。結論部分のベクトル的なものが自分とはずれている感じがしたので、この辺を修正していかなければと思うものの、この感じはとても良いなと思うところ。 生成AIが進化してきて、人類のクリエーション速度は飛躍的に進化したように思う。未来予想的には自炊の概念に達すると考えているのだけれど、まあそれは話が逸れそうなので割愛。AIを神と考える意見もあるけれど、僕は単にメディア、道具の一種だと今のところは捉えることにしている。清水亮さんが言っていた鏡という意見もなるほどなとは思ったのだけど、自分のイメージとしては(実質的には)汎用性が鏡の比ではないので、少しイメージがつきにくい。AIは次のスマホであるという考え方が多分1番しっくりくるのだ。人間の知能拡張装置としては手帳、スマホに連なる物と考えるのが妥当だと思う。 そんな風に考えるようになるのに加えて、最近の自分の変化としては『物事をベクトルで考える』ことが多くなったように思う。この辺の話を言語的に記述するのは難しいのだけど、ラジオを聴いていても、AIに文章を生成させていても、その厳密な一言一句ではなく、大まかな文脈や話の流れていく方向で知覚するようになってきたように思う。この辺の変化はAIの影響なのか、それとも自分が文字を読み慣れてきただとか、情報の処理能力が上がってきたのか、この辺のところはいまいち原因はわかっていないのだけど。いずれにしてもこうやって人間の環世界は少しずつ更新されていくのかもしれないなあと思ったりもしつつ。 ところで2024年がやってきた。そんなことを考えながら、本年も楽しく良い物を作って行けたら良いなと思うのだけど、こちらについでに2024年の抱負も重ねておく。さいきん知行合一という言葉に出会った。AI時代にとても必要な言葉であるように感じられる。多分この辺は身体性の議論とも重なってくるので、時間をかけて少しずつ考えを深めていければ良いと思うのだけど。2024年の大切なテーマの一つとしてこの言葉を位置付けてみようかなと考えている。もう一つが料理だ。影分身と言っても良いのだけど、この辺はデジタルヒューマン、デジタルネイチャー、無限コンテンツクリエイションの話の文脈のデジタルヒューマンの部分の議論だ。もはや人間は影分身しないとAIに太刀打ちできないので(まあ別に勝つ必要もないのかもしれないけど)、デジタルヒューマンを大量生成していくことで楽しく物を作っていくのが良さそうである。ただ、あくまで自分の手を離れないことが大切で。その辺を考えた時に料理という概念が大切になってくる、と考えている。まあざっくり手仕事だよね、やっぱり落合陽一先生やばい、この辺の感度というか、先見性が段違いだ。どのように発想してもこの人の考えに帰結してしまう、、。 まあともかく自分なりに手仕事を頑張っていく年にしていきたい。観点としては知行合一と、料理というのを中心に据えていくのが良いだろうと思う。言葉選びとしては手料理でも良いかもしれないな。まあともかく「自分の手を離れない仕事」という物を楽しくやっていければ良いなと思うのでした。本年もどうぞよろしく。