反右派闘争
中国で1957年 - 1958年にかけて行われた「ブルジョワ右派」に対する政治的弾圧
1956年の中国共産党中央による「百花斉放百家争鳴」の呼びかけに応じて、「民主諸党派」などの知識人が中国共産党の独裁政治批判や自由化を求める発言を行った。
これに危機感を感じた毛沢東は「ブルジョワ右派分子」による政権転覆の陰謀があると断じ、一転して弾圧を指令。
55万人もの知識人が右派のレッテルを貼られて職を失い、労働改造所などに送られた。
これ以後学校では政治思想教育の徹底がはかられ、「民主諸党派」は完全に無力化した。
また中国共産党への批判は不可能となった上に、党内部でも毛沢東への個人崇拝が絶対化されたため、無謀ともいえる 大躍進政策に道を開くことになった。
なお、右派とされた人々の大部分は文革終結後にようやく名誉回復されたが、反右派闘争自体は正しく必要なものであったと中国共産党により総括されている。
Anti-Rightist Campaign
下放
百花斉放百家争鳴
大躍進政策
廬山会議
motoso - /motoso/反右派闘争(1957)
反右派闘争 - Wikipedia