仮想人格
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「……不断の努力によってのみ手に入れられる技量というものも、確かに存在するかもしれません。しかし、現在最も重要な産業難民に対する救済措置として、仮想人格を導入することは、決して無理なことではないでしょう。この技術を用いることで、事実上産業難民化する労働者は激減するはずです。特に政府の支援があればなおさらです。その有効性について疑問視する向きもあるようですが、心配はいらんでしょう。事実、既にこの倫敦には、仮想の人格で自分を騙し騙し生きている者が大勢いるではありませんか」
—1865年英国議会にて。ハロルド・アッカーマン
仮想人格プレイヤー用情報
ここには仮想人格についての情報が記されています。仮想人格を用いるためのルールは、仮想人格についてのルールセクション「仮想人格関連ルール」に記載されています。ゲーム中に仮想人格を用いる場合には、そちらも参照して下さい。 仮想人格とは
『仮想人格』は『蒸気!』の世界に特徴的なガジェットであり、19世紀末倫敦で利用されている科学技術であり、文化であり、社会風俗です。この『人工的な多重人格』という奇妙な技術は、倫敦市民に容易に各種の技術の習得をもたらしています。一方この技術は、前世紀では想像も出来なかったような悲惨な犯罪の温床ともなっています。議会では未だこの技術に関する議論が続いていますし、特に最近では強硬に全面禁止を訴える議員もいるようです。しかし、既に社会では多くの仮想人格が利用され、日々新しい人格プログラムが流通しているのです。
仮想人格は『行動を変容させるための技術』です。強制的に意識にパッチを当て、各種の場面場面に対応した相応しい技能を出力するという原理で働いています。あえて言うならば、極めて強力な催眠術のようなものです。この催眠術は導引機械の利用によって自動化されており、市民にとって(自分を変える勇気と財力さえあればという条件付きですが)比較的手軽に利用できるものになっています。
倫敦における仮想人格の現状
歴史とは過去のものです。ここでは仮想人格の歴史的な背景はとりあえず置いておいて、現在の倫敦での仮想人格の状況を説明しましょう(歴史などの詳しい話についてはマスター用情報に後述します)。
最初は発展する産業に技術の習得が追いつかないことで、職を失いがちな産業難民のために用いられていた仮想人格も、そのバリエーションが増えるに従って中産階級へと浸透しています。その結果仮想人格は既に社会的に認知されています。しかし、導引機械と異なり、表向きは認められていても、一部の人々には道徳的にはどうかと思われています。特に人格のスイッチングを行う際に薬物を利用する点や、特にオリジナルの仮想人格の安全性に疑問があることなどが問題になっています。
最近は自家製の仮想人格プログラムにおいて多くの問題が発生しています。それを受けて政府側も政府制製のカルテ以外を取り締まろうという動きに出始めています。人格屋には政府の認定した技術レベルを持つ者にだけ発行される免許が必要で、人格導入も指定された店でしか行うことが出来ないという対処も、その一環で行われています。それにより、人格導入などのコストが跳ね上がったという問題もあります。しかし、『闇人格売り』や『闇導入屋』では以前と同様に低いコストでオリジナルの人格を販売しているようです。同時に政府制製のものに似せかけたまがい物が流通している場合もあるようです。
現在、もしも望むのであれば、個人を分析し、仮想人格とすることが出来ます。倫敦にはすでに死亡した自分の身内を仮想人格化して自らの脳に挿入している人々が何人もいます。そのような人は、夫や子供を失った身分の低くない女性に多いといいます。彼女達は自分の愛する人とともに一生涯を終えるのです。
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仮想人格のシステム
仮想人格は、ドラッグの使用と、特殊な図形の回転によって得られる視覚的睡眠誘導作用を利用したものです。特殊な変性意識状態に置かれた使用者の意識の奥に人工的に一時的な人格の記憶(データ)を挿入し、それを本来の人格と切り替えることで、別人格になるというものです。この処理のためには導引機械の利用が欠かせません。
記憶の挿入には半日程度の時間が必要です。また、その人格を表面に出すためには、スイッチとして、ある種の覚醒系の薬物を使用しなくてはなりません。薬物を利用し、仮想人格が覚醒した後は、一人の人間の体の中に二人以上の人格が同居することになります。また、仮想人格の消去は、仮想人格の導入されている意識上の場所に『空白の人格』を上書きすることによって成立します。
挿入されている仮想人格と本来の『真の人格』では、真の人格の方が優勢の状態になることが出来るように設計されており、仮想人格の働きを監視することができます。また、仮想人格から真の人格へと移行するためには(これを『自分に帰ってくる』といいます)、再び薬物を使用する必要があります。
〈コラム:仮想人格イマージュ〉
世界が眼前に再び強烈な印象と共に開けてくるのを、彼女は色あせた空泡のような意識の向こう側から眺めていた。彼女は失くした物を見つけたかのように、若く、明るく、思慮に欠ける、その無謀ともいえるエネルギーを感じた。そしてあたかも昔を懐かしむかのように意識の底の方で目を細めた。──若さ。たとえこれが偽りの若さであったとしても、彼女が昔の自己の体内に含まれていた激情を思い出させるには十分だった。
しかし同時に彼女はもう帰ることができないことを、リアルに感じてもいた。それでもいいのだ。人には過去を懐かしむ権利を持っている。
老女の肉体に若い意識の波動を持ちながら、老女は彼女を一時的ながらも若返らせてくれた「仮想人格」について想いを馳せた。
老女の瞳からいつの間にか温かい涙が流れていた。
仮想人格の流通と価格について
仮想人格プログラムは『仮想人格プログラム=カルテ』と呼ばれる形式で流通しています。これらは特殊な導引機械用連続紙にパンチ穴を穿ったものです。このパンチ穴が導引機械のプログラムとなっており、汎用人格導入用導引機械を、目的の人格の導入用機械へと変化させ、同時に人格を導入するために調整するのです。
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仮想人格プログラム=カルテは政府制製のものを除くと、人格小路(Identities Low)で作られているものがほとんどです。人格小路は仮想人格を組む専門の職人が集まった街です。ここで作られる各種の仮想人格プログラム=カルテは、品質もピンきりであり、政府の工場から卸された人格プログラムを改造する者、自分でマニュアルと首っ引きでオリジナルの人格プログラムを組み上げる者と様々です。このような作業に従事している者を、『人格設計者』と呼びます。人格設計者は導引機械協会に属している導引機械技師の場合もありますし、独力で技術を習得した職人の場合もあります。
設計され、カルテに落とされた仮想人格を販売するためには、『仮想人格販売免許』が必要です。この免許を持っている者であれば、誰でも『人格売り』として、合法的な仮想人格を販売することが出来ます。
仮想人格の導入のために掛かる一般的な価格は、制式のプログラム=カルテを購入するならば安いもので5ポンド程度です。高いものであれば、数ギニーを支払う必要があります。
一方、自家製のものであれば、20シリング程度で導入することが出来ます。その場合、プログラム=カルテは貸し出し制になっており、オリジナルは人格売りを兼ねる導入屋に保存されているのです。
コラム:仮想人格導入の実際
以下の場面は『蒸気!』世界を題材にした小説の一シーンです。ここで描かれているのは、ティムという仮想人格技師(導入屋)が、マリーという女性に仮想人格を導入するシーンです。この場面では仮想人格を導入するために『導入前プログラム』というものを使用しています。このプログラムを導入した後で、実際の人格プログラムを導入し、人格導入は完成します。
ティムは書棚に立ち寄り、三本のプログラム=カルテを取り出す。カルテの名はそれぞれ「導入前プログラム」「独立催眠人格」そして「V.R.1855」。どれも四インチ程度の厚みを持っている。その三本は呆れるほど無造作にテーブルの上に放り出される。その扱いを見れば、仮想人格に幻想を抱いている世の多くの人間は目を丸くするだろう。しかし実際には世間で言われている程、仮想人格は緻密でも幻想的なものでもない。特にそれを商売にしている者にとっては。
続いてティムは機械の下部を覗き込み、張り出した真鍮製のクランクを回す。数回勢いよく回したところで、規則正しい振動と低く唸る音とが下宿を震わせる。エンジンに火が入った。
振動が心地よく身体に伝わる。機械の内部が起き始め、最初はぎこちい歯車の回転音が、有機生命体を思わせる柔らかな音へと変化する。ティムがプログラム=カルテの綴じられたページを開き、綴られた連続紙の先端を機械のスロットに合わせて滑らせる。仮想人格の導入のための必要事項を彫り込んだ『導入前プログラム』が、最初は順繰りに展開されながらゆっくりと、次第に加速して流れる水のように、最後には怒涛の滝のごとくに導引機械の内部に吸い込まれていく。阿片戦争当時に清国から伝わった特殊製紙法に基づくプログラム=カルテ用紙は、ちょっとやそっとの張力には決して破損しない。かなりの耐久度を誇り、正確な機械の運用を可能にする。この特殊用紙が知的機関の発展に与えた恩恵ははかりしれない。
「マリー、カルテには触るなよ。指が落ちる」
技術職に就いていればその職業に特徴的な労働災害を経験することがある。人格導入のみならず、導引機械を扱う職人に最も多い事故が、このプログラム=カルテ導入中の手指切断だという。ティムも中古のプログラム=カルテで、片端に乾いた血痕が付いているものを持っている。悲惨な事故の跡だ。
「ええ、解ってる。ところでもうベッドに入ってもいいかしら」
「まだ時間がかかるけど、退屈しないなら」
マリーはスカートを気にしながら先程展開したベッドに横になる。ベッドの脇には駆動中の導引機械。しかし低い唸り声も慣れれば気にならない。
──もしかしたら胎内の音というのもこの音に近いのかもしれない
そんなことを考えながら目を閉じる。最初のころは催眠誘導装置を用いなければ「導入睡眠」に入れなかったが、近頃はベッドの柔らかさと機械の鼓動音だけで眠りに至りそうだ。頭部を覆うように何本ものパイプ管が走っていて、処々に朝顔の花のようなラッパ状の金属管が付いている。ここから人格導入のためのフレーズが流れてくることになっている。視界の中央には良く磨かれた金属板。マリーの顔を映し出す程。
機械の向こう側ではティムが機械の調整をしているに違いない。機械の操縦は鍵盤とスロットルで行われる。導引機械を扱うのは、実は楽器の演奏に似ているのかもと思う。さしずめパイプオルガンといったところだ。
「マリー」
ティムからの呼びかけ。マリーの心臓はどきどき高鳴っている。
「ん」
「始めるよ。中央の回転体を注視して」
慣れた手順が繰り返される。浮き出すような色合いで飾られた円盤が動き始める。光の明滅。目眩く彩り。回転体による催眠誘導作用。使い古された手だが、効果的なのは実証済み。
マリーが回転体を注視している間に、金属ラッパから高いかすれたような音が漏れ始める。
──始まった
すでに感覚は朧となり、意識は遠のく。そしてそれとほぼ同時に、彼女には聞き取ることの出来ない声が、幾重にも幾重にも重なって、マリーの聴覚を支配した。
『導入前プログラム』を用いる事で催眠状態を発生させ、人格導入を行う——このような手順に従って人格を導入するのが最も一般的な方法です。
コラム:人格小路の描写
人格小路は両手を広げると左右の壁に届いてしまうような迷路みたいな道が複雑に入り組んだ街だ。イーストエンドと呼ばれる地域のほぼ北に位置する、スラムとぎりぎりの労働者の街に出現した仮想人格関係者の街、それが人格小路である。
足下に小さな小さな紙吹雪のようなものが散らばっているのはこの街に特徴的な光景だ。しかも散らばっているのは、そのほとんどが同一の大きさに切り取られた紙片である。ベルトの穴と同じか、それよりもやや小さい程度に切り取られた紙屑は、店からはい出し、石畳の隙間に入り込み、灰色に汚れてこの街に堆積していく。
路地に出されている看板は小さな穴が整列するように穿たれた薄い木片や金属片。そこに大抵は筆記体で店の名前が記されている。仮想人格プログラム=カルテを象徴するような看板は、ぴかぴかのものもあれば、薄汚れたものもある。しかしそれがそこの主の腕を象徴しているという訳ではない。犯罪すれすれの危ない人格を売って儲けたのかもしれないし、政府制製のプログラム=カルテの文法的誤りを修正して売っているだけなのかもしれない。
この街ですれ違う人々は3種類しかいない。仮想人格技術者とプログラム=カルテの発注者、そして人格導入を行うために導入屋へと行く二人連れ。ここは職人街。職人は発注者の希望通りのものを作り上げるのが使命だ。発注する側の素性などは知らなくても構わない。身分すらも構うまい。職人にとっては自分の腕が評価されるのが何よりなのだから。
人格設計者
この倫敦で、精密な作業をする人間には何種類かあります。例えば導引機械の歯車は、確かに最も精密な作業を要求されるでしょう。そしてまた、『人格設計者』こと、『仮想人格設計者』もまた、精密な手作業を行っています。導引機械技師は歯車を重ね合わせ、積み上げることで知性を組み上げますが、人格設計者は雪片のような穴を紙から幾万も穿つことで知性を組み上げるのです。それは人の中に、『もう一人の人』を作り上げる技術なのです。人格設計者はいくつもの分厚いマニュアルを元に、オリジナルの人格プログラムを刻み続けます。
彼らは人間に心があることを信じていません。彼らは人間の行動のみを信じているのです。彼らはいつも言います。「心なんてどこにあるかわからない。でも行動は違う」と。「行動を変えることが人格を変えることだ」というのは、仮想人格を作り上げた、ハロルド・アッカーマンの言葉です。そして、確かに仮想人格は利用者の行動を変容させる技術なのです。
人格設計者は目と指先を酷使する職業です。このような肉体労働的な側面を持つと同時に、頭脳労働者でもあります。人格設計者の仕事は、特殊な連続紙に整然とした穴を穿つ仕事と、その穴の配置を設計する仕事の2つの側面を持っています。前者を助手なり雇い人に行わせる技師もいますが、きちんとした作業をしようとする人格設計者は総て自分の手でプログラム=カルテを組み上げようとします。彼らは1850年代に導引機械協会から配布された仮想人格用導引機械術に関する各種資料(これは現在でも一切改編されることなく販売され続けています)をベースに、独自の導引機械に関する技術体系を構築しています。それらは何冊もの分厚いマニュアルとなって有志の手によってまとめられ、政府側から発行され続けているマニュアルを置き換える形で発行されています。
導引機械技師には協会が存在し、技師の活動を様々にサポートを行い、その質を一定に保つという活動をしていますが、人格設計者達をまとめるような組織はありません(あえて挙げるならば、政府の側で用意した仮想人格諮問会が専門の組織ですが、実質的な活動は仮想人格販売免許を発行し、1850年代に編纂されたマニュアルを販売し続けているだけです)。人格設計者は個人で活動している者がほとんどです。彼らは個人的に仲間内で情報をやりとりしています。
人格売り
『人格売り』は、『仮想人格販売免許』を持つ商店を指していう言葉です。しかし、同じ人格売りでも、ウェストエンドとイーストエンドでは性質が異なっています。基本的にウェストエンドにおける人格売りは、仮想人格諮問会の認可を受けた安全な人格ソフトのみを取り扱っています。販売免許さえ持っていれば、クラブの一角でも仮想人格を販売することができるため、書店や薬局などが販売している場合もあります。
一方イーストエンドの人格売りにおいては人格ソフトは(免許を持っているものはウェストエンドの人格売りと同様の販売をしていますが)基本的に「自己開発による直接販売」が主流になっています。つまり、イーストエンドの人格売りは自らが『人格設計者』を兼ねているのです。人格の設計には、専門の導引機械と専門の記述言語があり、それを用いて記述された『人格プログラム=カルテ』が個人なりグループなりによって作成されているのです。そのように製作される自家製人格ソフトには、当局の認可が降りている仮想人格並の質を持つものもありますが、その多くはテストを行うこともできないため、大きな問題を抱えている場合がほとんどです。しかしイーストエンドのスラムに住まざるを得ないような人々は、このような安全性の低い、質が良いとは言い難い仮想人格ソフトを購入するしかありません。
導入屋
仮想人格プログラム=カルテを手に入れたとしても、それを導入せねば用いることは出来ません。そのために、『導入屋』と呼ばれる職業があります。導入屋は仮想人格を導入することを専門とする技術者です。人格売りと同様に、導入屋も倫敦の地域的な特徴を反映しています。ウェストエンドの裕福な地域における設備のよく整ったものと、イーストエンドのスラムにおける違法かつ格安なものです。前者は中流階級以上によって、そして後者は主にスラムに住む売春婦によって使用されています。
ウェストエンドの導入屋は、導引機械協会にも加盟しており、安全な方法と確認されている方法でしか、仮想人格の導入を行いません。使用者はたとえ導入が失敗に終わったとしても物理的な障害を受けることはありません(ただ基本料金をとられるだけです)。しかし違法の導入屋においては(良心的なところにおいても)何らかの障害を被る可能性があります。
違法の導入屋を経営しているのは、人格設計者と人格販売店を兼ねる人格技師の場合もありますが、そのほとんどが心理学者くずれや医者くずれ、全くの詐欺師、その他の得体の知れない人々です。このような導入屋での仮想人格の導入時には、使用者の記憶が一時的に失われるため、イーストエンドでは二人以上が連れだって導入屋にいくことが習慣となっています。
仮想人格マスター用情報
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ここでは、マスターが仮想人格をどのように扱うべきか、どのようにシナリオに取り入れるべきかが記されています。以下に挙げられている情報は、自由に加工して構いませんし、使用したくない情報は捨てても構いません。
仮想人格の歴史
仮想人格は1850年代初頭の開発当初から、担当する科学者や技術者の異常ともいえる情熱を一身に受けた存在でした。基礎実験は、それこそ数え上げることができないほどの回数が繰り返され、人間の人格についての正確に近い知識が蓄えられました。
未だ導引機械の黎明期であった1850年代後半に、人格のプログラム化に関する処理を行うために専用の導引機械が組み上げられ、導引機械協会の助力が惜し気もなく与えられたといいます。それは間接的な政府による援助でもありました。また、導引機械協会が例外的に仮想人格専用の導引機械に関する各種マニュアル(このマニュアルは現在でも改編されずに販売され続けています)を自由閲覧可能としたのもこの時期です。その結果、社会の一部の階層では、比較的早い時期に仮想人格が使用されるようになりました。その階層は労働階級で、産業の発展に技術がついていかないために産業難民となってしまうために、仕方なく導入を行ったに過ぎません。これは後世では一部の良識派の人々から「体の良い人体実験であった」と非難を受けています。しかし労働者階級の一部で仮想人格の有効性が確かめられた後、余裕のあるブルジョワジーが仮想人格を用いるようになりました。裕福で、科学者などをはじめとする碩学達に絶大なる信用を置いていた彼らは、仮想人格を労働用の技術獲得のためではなく、個人の楽しみや、より素早い技術の獲得のために用いるようになったのです。これが現在の仮想人格の利用法を決定づけたとも言えるでしょう。
ほぼ現在と変わらない仮想人格システムは、発展著しい導引機械システムを有効に使用することで1870年代に完成されました。しかし、この時期に導引機械協会は仮想人格開発に対する直接的な援助を打ち切っています。その結果、仮想人格開発及び導入用の導引機械は、導引機械協会の手を離れた、いわば奇形的な機械として成長して行くことになりました。同時に政府側においても仮想人格に関する予算などが暫時縮小され、仮想人格計画は1880年代前半には宙に浮いたような状態になっていたのです。しかし仮想人格に関る技師達の熱心な個人的活動などによって仮想人格は死に絶えることなく生き延びました。このような状況にも関らず、仮想人格は中流階級をターゲットとした社会的なシステムとして認知され、市場が成立したのです。仮想人格は、労働者階級をターゲットとして開発されたにも関らず、中流階級以上が主な利用者となっていったのです。
現在、仮想人格は中産階級から再び労働者階級に広まってきています。しかしそれらの仮想人格は、粗雑な作りの比較的危険な仮想人格です。その結果、スラムなどの一部では、資格を持たないと思われる闇人格売りや、闇導入屋による、悪質仮想人格による事件が何件も発生しています。このことを重く見た当局は、社会に対して「きちんとした資格を持った各技術者の指導のもとでの使用」を奨励し、仮想人格プログラムの品質管理を行うと同時に一定品質以上の人格の専売を行っています。安全性を最優先する傾向は、現在の政府機関による仮想人格プログラム=カルテの販売ラインナップからも伺えます。政府の許可証を持った仮想人格専売店では、(安全ではあるものの)市場で流通している価格の数倍の値がつけられているため、裕福層だけが顧客になっています。
仮想人格を巡るアンダーグラウンドな情報
「Virtual Image」とは虚像のことを意味します。「Virtual Identity」とは仮想人格を示します。この両者に共通していることは「ほとんど本物」のように見えるということです。しかし、たとえ本物らしく見えたとしても、それは虚構に過ぎません。
仮想人格システムは技術が産み出した道具です。どこまで追い続けても、それは本物ではあり得ません。しかし仮想人格に取り憑かれた人々は「本物らしさ」という虚像に翻弄され続けています。ここでは仮想人格を巡るアンダーグラウンドな情報を紹介します。
仮想人格の絡んだ事件について
仮想人格でもイーストエンドなどで販売されている質の悪いものは、制式のものと比較して非常に安価です。従って裕福でない人々でも購入することが出来ます。これは、仮想人格が犯罪に用いられることの理由にもなっています。
当局は発表を差し控えてはいますが、実に様々な種類の犯罪が仮想人格を用いて行われています。例を挙げるならば、単純に性格を変えて商売をする街娼、仮想人格を用いた『仮想人格麻薬』の常用者、結婚詐欺、犯罪を行った後に人格を変更して逃亡する者などです。そしてまた仮想人格の使用者を狙った犯罪の例としては、使用者の人格を乗っ取るもの、使用者にショックを与えて死に至らしめるもの、使用者の人格に悪影響を与える様々なタイプのものなどがあります。さらに数は少ないにしろ、仮想人格というシステム自体に挑戦するようなタイプの仮想人格もあります。このタイプの犯罪は、仮想人格を導入している者全てを巻き込むような犯罪です。
悪質な仮想人格
「仮想人格」の中には、使用者の人格を完全に消去してしまい、「仮想人格」が本人を乗っ取ってしまうという、悪質なものも存在しています。これらは主に倫敦のスラム(イーストエンドがその良い例です)で作成され、貧しい人々の間に被害を出しています。 悪質な仮想人格は、それを司る悪質な仮想人格設計者の邪悪な目論見によって生み出されています。
このタイプのソフトは、使用し始めはなんら普通のソフトと変わらずに用いることができますが、使用何回目かからスムースな回復が不可能になりはじめ、ついには本当の人格へ「帰ってくる」ことができなくなるのです。自分が消えてゆくという恐怖をつづった日記の主や、街路で「助けてくれ!」と叫ぶ人その何割かは、これら悪質な仮想人格の犠牲者であると考えられます。
スラムと仮想人格
倫敦のスラムには、複数の仮想人格を日替わりにしている人々がいます。特に娼婦は、化粧と別の人格で商売をしようとしています。そしてこのような娘は、良質の規格品の仮想人格を買うことができませんから、(勿論金持ちのパトロンがいれば話は別ですが)ヤミで流通しているエセ仮想人格設計者の作ったソフトを多く用いています。これらのソフトには安全保障もありませんし、作った人も特定できません。スラムはいつでも法の網の外にあるのです。また、スラムに逃げ込んだ犯罪者も仮想人格を用い、外科手術によって姿を変えることによって法の目をかいくぐろうとします。当局と犯罪者との闘いは、仮想人格という風俗を巡って展開されている面もあるのです。
人格抽出プログラムと人格流出
ハワード・フィリップス・ポータルキーパー
新興産業ブルジョア。「自分は自分の中にいない。他人の中にいる」という信念を持つ。無許可で他者の人格をコピーし、コレクションするという人格犯罪に手を染めている。ポータルキーパー自身は人格設計術を持たないため、様々な人格技師に金を支払い協力を得ている。
人格収集マニア
<この項目の関係者>
エドガー・フェザーペニー
他人になりすまし、他人として振る舞う中でしか(性的に)満足できない変態。根からの収集家。
人格刑
<この項目の関係者>
ヘンリー・ジキル
多重人格娼婦
<この項目の関係者>
エリザベス(のっぽのリズ)←切り裂きジャックの被害者と同名
完全なマゾヒスト。何度も繰り返し内臓をぶちまける感覚の記憶を繰り返す娼婦。『リズ・カルテ』は『ある事件の犯行現場をリアルタイムに再現したもの』である。生きたまま身体を切り刻まれる感覚を収録したという。収録方法は反吐が出るようなものであるためここでは特に秘す。
記憶改竄マニュアル
<この項目の関係者>
ジェイムズ・A・グールズ
ジャーナリスト。導引機械の名づけ親。身長135cm。配膳用エレベータを使って自室に出入りする。部屋は「本の山、いや本の海だ」と形容される。「あらゆるものがどこにあるか」を把握しているため、知の支配者とも言われる。
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