ウェストエンド
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倫敦の西に位置するハイドパークを挟んで南北に広がる地域には、閑静な高級住宅地が広がっています。
N51.5136975,W0.1194850,Z13
この地域に含まれる地区・街路・ランドマークなど
N51.5049707,W0.1744830,Z14
■この地域に含まれる地区
・パディントン地区
・サウスケンジントン地区
・ナイツブリッジ地区
・ベレグレーヴィア地区
・チェルシー地区
■この地域のキーキャラクター
・ダニエル・バートン
・ヘンリー・ギミック
・ベネット・ウッドクロフト
・コーエン・グレシャム
・ベネット・ウッドクロフト
・エミリィ・ホワイトクリフ
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■この地域のホットスポット
聖ルカ病院
科学博物館
コーエン・グレシャム時計店
科学博物館
銀月社
ベイズウォーター地区とも呼ばれる閑静な新興住宅地です。ハイドパークの北部に広がる地区で、19世紀初頭からの高級住宅地です。白亜の建物が並ぶ落ち着きと威厳の感じられる地域です。この街からリトルヴェニス、カムデンロックまで通じるリージェント運河があります。リトル・ヴェニスは運河の交差手点にある小さな街で、ジョージ王朝時代にヴェニスを模して作られました。
チェルシーとケンジントン・ガーデンの間にあるサウス・ケンジントンには博物館や学校、文化施設がひしめき、ブルジョワ階級の者たちの邸宅が立ち並んでいます。この施設郡は、アルバート公が息子たちの情操教育のために指示した物でしたが、公の死によって建築に拍車がかかり、後にアルバートポリスとも呼ばれるようになりました。また、この街にはフランス領事館があり、多くのフランス人が暮らしています。
爆発的な人口増加が起こった18世紀後半に開発された新興住宅地です。ヴィクトリア時代には、富裕な市民がナイツブリッジ、ベレグレーヴィア、ケンジントンに流れるようになり、『新しいウエスト・エンド』と呼ばれるようなった。現在では、ハーヴィー・ニコルズ、ハロッズといった巨大デパートが建ち並ぶショッピング街です。
かってはグロウナー家の所有地で、ジョージ4世の命で都市化が進められた。トマス・キュービットの手によって多くの広場やテラスハウスが建てられ、メイフィア地区と並ぶ高級住宅地となっている。各国の大使館もこの地に建てられている。
チェルシーは閑静なたたずまいで、倫敦市民の憩いの場として有名です。かっては郊外の一漁村でしたが、16世紀頃から都会の喧騒を逃れた宮廷人が住みつくようになり、17世紀には王立廃兵院が建てられました。また、この街はパリのモンマルトルのような、芸術家たちが集う街として有名です。オスカー・ワイルド、ジョージ・エリオット、マクニール・ホイッスラー、アルジャーノン・スウィンバーンなどの名士がこの街に住んでいます。
古き倫敦の姿を残しているひなびた散歩道です。涼しい木陰を提供する並木と、ジォージ王朝時代の古風な邸宅が立ち並んでいます。東端には倫敦薬種商組合の経営する植物園があります。また、トマス・カーライルが住み、ラファエル前派の興った街として有名です。
テイト・ストリート
1895年までオスカー・ワイルドが住むこの通りは、彼を中心に唯美主義者などの前衛的な芸術家が住みつき、エキセントリックな人物の集う場となっています。『機巧派探偵倶楽部』のクラブハウスであるヘンリー・ギミック卿の邸宅もここにあります。
ハイドパークとケンジントンガーデン
この倫敦西部に広がるハイドパークという巨大な公園は、広さにして160万平方メートルもあります。この公園は、倫敦の公園を代表しているともいえます。なぜならこの公園は通称「ザ・パーク」なのですから。この公園にはサーペンタイン池という大きな池があります。またこの地は、1851年に、アルバート公によって「大博覧会」が取り行なわれた場所でもあります。
また、ケンジントン公園は、ハイドパークの西に連なるように広がっている公園で、約110平方メートルの広さがあります。この公園にはラウンド・ポンドと呼ばれる、円形の池があります。
サウスケンジントン博物館
大英博物館よりも、その規模において上回るサウスケンジントン博物館は、1851年の大博覧会の展示物を基礎としてできた博物館です。この博物館は、装飾品や家具などの工芸品を多くそろえてあります。同時にこの博物館には、コンスタブルやターナーなどの英国の風景画を多く所蔵しています。この博物館は1857年にサウスケンジントン博物館として発足しましたが、その名称は1899年に、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に変更されました。
アルバート・ホール
1871年に落成したコンサート・ホールです。8000人を収容するルネサンス様式のドーム型会場です。ここで演奏する音楽家たちはいずれも倫敦でも一流の実力者です。このホールには、蒸気エンジン駆動の世界最大級のパイプオルガンがありますが、それこそ「プリンス・アルバート」と呼ばれる導引機械駆動の最新鋭のパイプオルガンです。
自然史博物館
大英博物館の自然史部門が独立してできた博物館で、同博物館の地質学、古生物学、植物学、鉱物学、博物学といった自然史に関する非常に興味深い収蔵品が自然史博物館に収蔵されました。この博物館のホールには恐竜の骨格標本が多数展示されています。
ハロッズ
ナイツブリッジのプロンプトン・ロードにある倫敦最大の百貨店。1849年にヘンリー・チャールズ・ハロッズが始めた食料品店から始まり、1894年から百貨店にすべく大規模な用地買占めと拡張工事を行い、“島のような地区”に巨大な店舗を築き上げた。
王立廃兵院
フランスの廃兵院に倣って、1692年に建てられた老傷兵の収容施設です。レンの設計した赤レンガの建物で、現在540名余りの退役軍人が暮らしています。彼らは外出時には赤、院内では青の18世紀風の軍服を着用し、生活の補助と引き換えに各種儀式に参加しています。彼ら退役軍人の手によってチェルシーの平穏な雰囲気が保たれています。
マリルボン駅
1899年に建てられた倫敦では新しい駅です。グレート・セントラル鉄道の駅で、イングランド中部・北部(レスター、ラグビー、シェフィールド、マンチェスターなど)への列車が発着しています。新興住宅地の中にあり、他の駅と比べて小ぢんまりとしています。
パティントン駅
グレート・ウエスタン鉄道の駅で、ウェールズの中心部(オックスフォード、バーミンガムなど)と南西部(バース、カーディフ、ペンザンス、エセクターなど)に向けての列車が発着しています。馬車がホームまで乗り入れできるユニークな駅舎で知られています。この鉄道は軌間が7フィート以上の超広軌鉄道で、乗客や沿線住民を驚かせました。
リージェント運河
リージェント運河は1820年に開通した運河で、北はカムデン・ロック、西はバーミンガムにまで続いています。
<コラム:ウェストエンドについて>
ウェストエンドは倫敦で最も華やかな地域であるといえます。旧くからの商店、劇場、オペラハウスなどが立ち並び、人々は華やいだ服装でこの街を歩いていました。大英帝国の中心・倫敦が、正に世界の中心だと実感するのは、この地区を歩いている時でしょう。J.H.ケルソンの「ウェストエンド」という著作には、この地域のことが以下のように記されています。
『商店には様々な珍しいものが並べてあり、人々の購買意欲をそそる。
女達は街を歩いている時により華やかに見える。特にこの街ではそれが特徴的だ。ここが巨大な花畑であったとしたならば、彼女達はあたかも花々の間を飛び回る蝶のようだ。(…中略…)どっしりと構えた旧くからの店もこの街に特徴的で、悪くすれば軽薄になりがちな点をしっかりと押さえておいてくれる。』
この記述に示されているウェストエンドは(誇張されているにしろ)ほぼ真実だったといえるでしょう。
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