環世界
たとえばダニは3つのシグナルだけで生きている
酪酸のにおい、摂氏37度の温度、体毛の少ない皮膚組織
これらを検出するセンサーに則って動くロボットでしかない
人間がどうとか哺乳類がどうとかは認識してない、センサーが反応したものに飛びついて動いてるだけ
ダニの環世界
ダニ含めあらゆる動物はその環世界にとりさらわれている
退屈の余地はない
シグナルにしたがって動いてるだけ
でも人間は違う
だから退屈する
筆者はハイデッガーが導いた「人間は違う」を否定しているsta.icon
人間も環世界を生きてるけど、ただそれが不安定で移動しやすい(他の生物よりも格段に)というだけ
人と環世界
一つの環世界にとどまれないので退屈する
安定した環世界を求める
習慣はまさにそう
とはいえ習慣もダイナミックなもの
いつまでもそうしてはいられない
立場や関係や居場所は変わる、変わったなら習慣も更新せねばならない
私達はたえまなく習慣を更新しながら、つかの間の平穏を得る
人は考えてばかりでは生きてはいけない
考えないで済む生活を目指しているとさえ言えよう
習慣が獲得されれば、考えて対応するという複雑な過程から解放される
環世界に留まれるsta.icon
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LLMと人間は環世界が違うだけ
LLMはデータセットを介して世界のモデルを構築している
人間は五感etcを介して世界のモデルを構築している
これはどういう意味ですか?環世界とはなんですか?
この概念は、人工知能(AI)や特に大規模言語モデル(LLM)と人間の認識や理解の仕方について、哲学的な視点から捉え直そうとするものです。ここで出てくる「環世界(かんせかい)」という言葉は、ドイツの哲学者ユクスキュルが提唱した「Umswelt(ウムヴェルト)」という概念に基づいています。ウムヴェルトとは、ある生物がその感覚器官や認知能力を通じて捉える主観的な環境や世界を指します。
1. **環世界の違い**:
- LLM(大規模言語モデル)は、インターネット上の膨大なテキストデータなどを通じて世界のモデルを構築します。例えば、Common Crawlのような大規模なテキストデータセットがその源泉です。
- 一方、人間は視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚といった五感を通じて世界を認識し、その情報に基づいて世界のモデルを構築します。
このアプローチの要点は、LLMと人間の本質的な情報処理の違いよりも、それぞれの「環世界」が異なるという部分に焦点を当てている点です。両者は異なる方法で世界の情報を受け取り、処理するため、それぞれに独自の見識や理解の方法があります。それは、人間の五感を通じた受動的な情報の受け取り方と、LLMのようにデータセットから能動的に情報を学習するプロセスの違いともいえるでしょう。
ですので、環世界の違いにより、LLMと人間が世界をどのように「見る」か、どのように理解するかが異なっているという考え方となります。これはAIと人間の間にあるギャップや類似性を理解するための一つの視点と言えます。
世界をそのまま見ているのではなく、何らかのフィルターを通してモデル化したものを認識しているということですか?
はい、その通りです。人間とLLM(大規模言語モデル)を含む様々な知覚主体は、直接世界そのものを見るのではなく、各自の感覚や能力を通じて得られる情報をもとに世界をモデル化し、そのモデルに基づいて世界を認識しています。ここで使われている「フィルター」という比喩は、各主体が自分の感覚器官や情報処理方法を通してしか世界を知覚することができないということを示しています。
例えば、人間は視覚、聴覚、嗅覚などの五感を通じて環境から情報を収集し、それをもとに世界を理解します。このプロセスは、物理的な刺激を電気信号に変換し、それを脳で処理するという一連の流れで成り立っています。そして、この情報処理過程によって、個別の主観的な「環世界」が形成されます。
一方、LLMは膨大なテキストデータを学習して世界のモデルを形成しています。これもまた、テキストという「フィルター」を通じて得られる世界の断片的な情報に基づくもので、直接世界を見ているわけではありません。
このように、両者ともに直接の世界ではなく、それぞれの感覚や情報源を通して得られるモデル化された世界を「見ている」のです。こうした視点は、AIと人間の違いを考える際の有益なフレームワークとなり得ます。両者が異なる形式の情報を基に世界を理解しているということを理解することで、それぞれの限界や可能性が見えてくるでしょう。