接続するコミュニティ
荒川和久さんの本で提唱 or 分析されてる、ソロの、コミュニティとの関わり方 x
常に所属
一心同体
o
参加したいときに参加したいだけ参加する
何らかの目的のための(ためだけの)一時的集合
もともとの原意
ラテン語のFamiliaは「1つの屋根の下に暮らす使用人や召使いのすべて」
英語のhouseholdも、ギリシャ語では「主人に従う妻子や奴隷」「主人の所有物の総称」
もともと経済生活を営む上での隷属的な機能という意味だったのです。そこに「愛」などという概念は存在しません。
「家族とは、構成するメンバーの経済的生活の成立と精神的安定を機能とする契約に基づいた集団であり、必ずしも共住を前提としない」ということになります。
……同居することだけが家族ではないのです。ここにこそ、家族を消滅あせない1つのヒントが隠されています。
要するに「全部入りの家族形態」だけじゃなくて、もっと柔軟に利害で繋がる関係でもええやんってことを提案しているのだと思うsta.icon
役割ベース
今後は接続するコミュニティ単位での「自己の社会的役割」が生まれ、その役割は、接続の数に応じて多重化します。その役割の多重化こそが自己の内面の充実化に結びつきます。
常に複数のコミュニティに接続しながら、新しい刺激を得て、自分をアップデートする動き方が主流になるでしょう。
自分の内側にコミュニティを気づく
まだ確立されてはいない
接続するだけでも、人とつながり、何かを行動することによって安心や気付きが得られる方向へ。それが……「しあわせ」のカタチなんではないでしょうか。
お膳立てシステムこそが、今後は必要ではないでしょうか。
例
見知らぬ者同士夕食を共にするマッチングサービス
読書会
げんきカレー(1杯200円で食えるが、n*200円払えばn人の子供がただで食えるチケットを設置できる)