当事者性
「当事者性」の概念について.pdf
当事者性を「問題になっている事柄に関して、個人的に直接的な体験をもっていること」であると仮に定義すれば
当事者性を育てる.pdf
当事者とはある問題に直面している人たちのことをいうこととする。問題との直面の仕方は人によって異なるが、社会的な問題に対しては多かれ少なかれ誰でも当事者である。
ティール組織でも出てくる
コミュニティのクローズド化とも絡められるかもしれない
オンラインでの投稿は、公開抗議の開催ではなく、パンフレットの配布に似ています。 投稿を見ている人々は、同じ情報を消費している他の人々が誰であり、何人いるのかを知るのは難しく、また、彼らの意見を測定することもできません。 投稿は彼らの信念に影響を与えるかもしれませんが、それは特定の仲間のグループの共通の信念を作り出すのは難しいです。 投稿の拡散と注目を強調する機能は、誰かを助けるかもしれませんが、メッセージの受け手の追跡は、物理的な公共の場で可能なものよりもはるかに粗いものになります。
nishio.iconは「受信者が不可視」と捉えた
僕は当事者性という概念が浮かんだsta.icon
オンラインで不特定多数に発信してると、受信側は「他人事」「一歩引いて雑に見れる」「好き勝手言える」感じ
一方クローズドにすれば自分という存在がある程度知られているので、そうしづらい
実際、一歩引いて雑にしたいマンはクローズドなコミュニティには無闇に入りたがらない(俺もそうw)
あるいは入った後にそんなことをすれば「幽霊部員」や「モンスター」的な存在になってしまう
黙ってるにせよ、好き嫌い言うにせよ、オンライン不特定とは違って認知される
ステルス気質も絡むかも。認知されたくない、責任取りたくない人にとってはかなりのハードルとなる クローズドにするということは参加者に「お前も当事者になるんだよな?」と圧かけてるようなものなのかもなーsta.icon