充実してるはずなのにこの物足りなさはなんだ?
朝5時に起きて、リモートで仕事して、たまには散歩して、紅茶も飲んで、15時に上がって音ゲーもして、帰りにすき家で牛すき鍋定食食って。
充実しているはずだ
なのに、なぜ物足りないんだ?
寂しさ?
これは何なんだ?
1
たとえば小金持ちの子どもでも満たされてないと起こる
ネットでやたら自己顕示欲強い子どもとか
映ってる部屋がマジ広いんよなsta.icon
結構ガッツリ本能にくる感じがある
理屈ではなく本能
家に帰ったときや帰る前くらいに、いきなり訪れる
自覚する?
まるで空腹感のように
どうすれば潤わせることができる?sta.icon*2
孤独本に書いてるボランティアとかスキンシップとかそういうのじゃなくてさsta.icon*2
2
よくばりすぎ説
24hずっと楽しむことはできない
人には注意資源がある。疲労がある。1日12hも楽しめたら十分だろ。
それ以上は麻痺なり洗脳なりしてて正常ではない
孤独説
主観を変えよ
道は開けるにもあるように(最近まとめ始めてるので改めて) 笑顔で陽気を演じれば脳を騙せるとか
暇だから説
あるsta.icon
結局暇だから説に繋がる気もするsta.icon
ランダム報酬に溺れてる世界だとなんだかんだ忙しい
そういうもの
むしろ正しい
退屈を感じるということは、自分なりに習慣化を行って自分なりの環世界を構築できたということ
「退屈を紛らわす場」に参加して紛らわしつつ、余裕があるはずなのでそれで思考することで「自分が何にとりさらわれるか」を探求していくのが人間的な人生というもの
逆に仕事や使命の奴隷になるのは人間的じゃない
一方で「それって消費者(浪費者)の生き方だよね」とも思う。俺はなにかを生み出す側になりたいのだが?sta.icon
これもある種使命の奴隷か?
一方で盲目的に溺れてはいないから健全ではあるのか
場に委ねているのと大差ないsta.icon
じゃあ場に委ねる方が成功率高そうだし、いいのでは
どっちもかな
1 何かを生み出すという活動を楽しむ
2 浪費者をばかにせず、自分も素直に楽しむ
両方楽しめるようになれたら最強やんsta.icon
無限に成長したい、結果出したいという人は、おそらく自分の退屈問題はクリアしていてもっと先(万人がこの問題で悩めるよう水準を引き上げる)を見ている
この境地に至れたら退屈とは無縁だろうが、俺に手に入る気はしないsta.icon
Q: 持て余しのメカニズム
人間が定住生活しており、遊動民としてのポテンシャルを持て余しているから
Q: 孤独感
言及なし