何者問題
「何者にもなれない」や「何者かになりたい」というときの、「何者」とは何か?rashita.icon
sta.icon
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いずれにしても幻想、空虚、虚無なものなのかなぁと思っている
そっちの素質があるなら、既にAを楽しみ、Aにこだわって生きているはずである
それができない奴の一部が、(Aの成功者を見て)軽率に憧れる
が、素質がないので続かない
改めて言語化すると、
何者などというものはない
こだわるだけ無駄である
存在するのは常に現実であり、現実の(特に自分の周囲からの)評価だけである
tks.iconさん
「可能性が無い」という現実にいつ気づくか、という視点かなぁと感じたsta.icon
あとは世代ごとの、意識にどれだけ向けるか感
景気良いとレールがあるから何者を意識しなくてもいいとか
元ネタ
テトリスのネット対戦、ランク上がってくると強い人とマッチするようになって勝てなくなってくるし、YouTube で強い人の動画見ると「あぁ、絶対このレベルにはなれないな」と分かってしまうので戦意喪失する。
これが「何者にもなれない」という感覚かと理解できる。
問題提起、takker.icon
1番になれないことがどうして何者にもなれないことにつながるんだ?
sta.icon
一位になれないというか「届かない目標がある」ことの絶望
何者かになるとは、すべての目標を潰しきって「俺の前には何もない。俺の勝ちだ……」となること
ああ、これ実質一位になることと同義かw
他の人の意見をまとめると
手段としての「一位を目指す」
単純に一位が知名度高くてメリットがでかいとか、向上するからには一番を目指すつもりで行く方が伸びるとか
今の居場所で認められたら、それはもう何者かになれたということでは
二位じゃだめなん?
自己ベスト更新が目的なら順位からは逃れられる
simpsta.icon
「何者」の定義をどう置くかだなぁ
1 自分で置く
2 居場所からの評価、など外の水準に任せる
3 そもそもそんなことにはこだわらない
1は見たことない
2は元ネタやsta.iconが患っている
比較対象がいなくなったレベルを「何者かになった」としている
≒一番にならなきゃいけないし、なりつづけないといけない
特にああこれ才能の壁があるなぁとわかると、もうそれ以上いけないことが確定したようなものなので絶望する。俺も普段ここでチュウニやらなんやら絶望してるけどsta.icon
3は、