何者問題
個人的背景
ずーっと人生に納得は行っていなかった
モヤモヤしていた
斜に構えていた
勝ちたいより負けたくない
何者になれるかもという自尊心はあるけど、自信も勇気もない
『何者』を読んで、何者になりたいとか言っていてはダメなんだということが自分の中で決定的になった 前田は何者
ヒロキは何者ではない
キャプテンは何者
意識高い系も同じ話か
創作する人が増えて、何者になれる人は増えた?
例えば、Youtuberが市民権を得て、スマホがあればYoutuberになれる時代になったことで何者になりたいと考える人は増えるのか、減るのか
何かを作り出す何者になれる
何者になりたいと思えるくらいは恵まれてた
可能性仮説
やらなければ何者になる可能性は残される
やってみてダメだったは耐えられない
やってダメならやらない方がよっぽどマシ
世代説
ゆとり世代、特有の感覚なのか?
上の世代はどうなんだろう
就職氷河期世代、ロストジェネレーションの人も就職は厳しい体験はしているはず
乗れれば勝ち、乗れなければ負けみたいな感覚?
乗らない方が勝ちみたいな感覚はあったのか?
フリーターではなくプーって言ってた?
カミングセンチュリーのドラマでプープープーってあった気
フリーターでもなんとかなる感覚
縛られない自由な生き方として幻想を見せる言説もあった?
必要なときに働いて、必要なだけ稼いで、好きなときに休む
自己実現的な感覚はどんなものを持っていたんだろう
景気がよかった時期はレールがあった
何者にならなくていい
時期説
就活は可能性が閉ざされる時期
モラトリアムの終わり
選択するし、選択される
現実が否応なしにやってくる
自分がどんな企業に入ることができるのかが嫌でも明示される
就活を降りるという選択肢はあるけれど、強者か逃避
不安なしで降りれるのか?
降りなくても不安はあるか
認知的不協和を解消しようとする
理想:あの会社に入りたい、あそこに就職が決まったあいつはすごい
現実:自分は入れない
理想を歪める
あの会社は実はブラック企業
あいつが決まったのはコネ
何がんばっちゃってんの
まだ本気を出してないだけ
昔と違うのはレールはここまで
退職まで連れて行ってはくれない
私にとっての「何者か」は、「何かを生み出すことのできる人」なのかな、と思います。