『桐島、部活やめるってよ』
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https://www.youtube.com/watch?v=KjjG0WTQ6C4
早稲田大学在学中に小説家デビューし、第22回小説すばる新人賞を受賞した朝井リョウの同名小説を、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の吉田大八監督が映画化した青春群像劇。**田舎町の県立高校で映画部に所属する前田涼也は、クラスの中では静かで目立たない、最下層に位置する存在。監督作品がコンクールで表彰されても、クラスメイトには相手にしてもらえなかった。そんなある日、バレー部のキャプテンを務める桐島が突然部活を辞めたことをきっかけに、各部やクラスの人間関係に徐々に歪みが広がりはじめ、それまで存在していた校内のヒエラルキーが崩壊していく。**主人公・前田役に神木隆之介が扮するほか、前田があこがれるバトミントン部のカスミを「告白」の橋本愛、前田同様に目立たない存在の吹奏楽部員・亜矢を大後寿々花が演じる。第36回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀編集賞の3部門を受賞した。(映画.comより。太字は筆者。)
以下、ネタバレ
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舞台はとある田舎の高校です。主人公は、映画部に所属する前田という少年です。「あれ、主人公は桐島じゃないの?」と思う人もいるかもしれません。そうなんです。主人公は桐島ではありません。それどころか桐島は映画には出てきません。出てこない桐島が、出てこないにもかかわらず話の中心となって進む話です※。
※こうした中心人物が出てこないまま話が進むものとして、『ゴドーを待ちながら』という戯曲との類似性を指摘する人は多いです。
皆さんにも多少の身に覚えがあると思いますが、不思議なもので、学校という空間では、知らず知らずのうちにヒエラルキーのようなものが出来上がります。もちろん程度に差はあるでしょうが、ヒエラルキー上位の人間もいれば、ヒエラルキーの下位の人間も生まれます。ちょうどこの作品がでた頃にはスクールカーストなんていう言葉で表現されていました。リア充と非リア≒オタクといった表現もこの頃によく使われていた言葉でしょうか。
主人公の前田は、スクールカーストでいうと下位に属する人間です。撮影した作品が賞をとって学校で表彰されても、そのタイトルを聞いたリア充に笑われて馬鹿にされるような存在です。
一方、本作のもう1人の中心人物は宏樹という人物です。彼は前田と対照的な存在で、スクールカーストの上位に属する人間です。イケメンで高身長で、スポーツもできて、彼女もいて、何をやっても卒なく上手くこなす。予告編のシーンにもありますが、「結局、できるやつはなんでもできるし、できないやつは何にもできないってだけの話だろ」とか言っちゃいます。一応野球部に籍は置いてあって、部活は休みがちなのに野球部のキャプテンからは一目置かれていて(部活に出るように声をかけられる)、練習には出ていないけれど、試合に行ったらがんばって練習しているレビュラーを差し置いて試合に出ちゃうような人間だと思われます(そのような描写はないので推測)。
そんなある日、桐島というこれまたスクールカースト上位の人間が部活(バレー部)を辞めたという噂が学校中を駆け巡ります。桐島と宏樹は親友のはずです。少なくとも宏樹はそう思っています。しかし、宏樹は桐島が部活を辞めることを知らされていませんでした。宏樹の周りの人間も事情を知る人間はおらず、桐島と仲が良いと思っていたスクールカースト上位の人間たちは動揺していきます。桐島が部活をやめるという噂話が出てくることによって、スクールカーストの上位に位置する宏樹や友達、桐島の彼女、桐島の彼女の友達たちは混乱に陥ります。
一方で、映画部の前田は動揺しません。なぜなら、彼は桐島を中心としたグループと交流がないからです。
前田は、桐島が部活を辞めるらしいことなど何も関係なく、映画撮影を行おうとします。実は映画の冒頭で、前田はゾンビ映画を作りたいと顧問に申し出ています。表彰された思春期の悩みを反映したような作品は自分たちが取りたい映画ではないと考えていたからです※。しかし、映画部の顧問の先生は、もっと青春っぽい、恋とかの話をしろと言ってそのアイデアを却下します。(この映画部の顧問の先生、前田の気持ちを全然わかっていない感じが最悪で最高です。)
※ちなみに、このゾンビ映画を作るというのは原作と違う点だそうです。なぜゾンビ映画を撮ることにしているのか。ゾンビとは、死んでいるにもかかわらず生き長らえている存在です。前田にとっては、周りにいるスクールカーストの上位にいる人間、もしかしたら世の中全員がゾンビに見えるのかもしれません。
前田は顧問を無視してゾンビ映画を作ろうと試みます。ただ、スクールカースト下位の映画部は、撮影する場所も少なくなかなか撮影はうまくいきません。そこで人が少なく撮影ができそうな屋上で撮影をしようとします。
一方、桐島が部活を辞めるらしいということで動揺したスクールカースト上位組は、宏樹のみならず、宏樹の友達、桐島の彼女、桐島の彼女の友達、バレー部員などを巻き込んで、不協和が産まれていきます。そんな中、桐島らしき人物が屋上にいることを見かけて、彼らは屋上に急いで向かいます。
こうして一見交わることのなかったスクールカースト下位の前田たち映画部と、スクールカースト上位組が交わることになります。スクールカースト上位組は、先に屋上にいた映画部に「桐島を見なかったか」と尋ねます。それまでも散々撮影を邪魔されてきた映画部は、なぜこんな状況になっているかが理解できません。彼らはただ自分たちが撮りたい映画を撮ろうとしているだけです。桐島がいないことに落胆したバレー部員が怒りを発散するために映画の小道具を蹴り飛ばします。その小道具は、確かに知らない人から見ればクオリティの低い小道具です。しかし、前田たち映画部にとっては大事な映画の小道具です。その大事な小道具を蹴り飛ばしたスクールカースト上位の人物の横暴に前田は怒りを露わにします。スクールカースト上位の人間は、俺たちは大事な桐島の話をしている、どうでもいい映画の小道具なんてどうだっていいだろうと言わんばかりにその怒りに対して開き直ります。
ここまで色々な邪魔があって映画を撮ることができずに怒りを溜めていた前田(実は失恋も重なっている)は、ゾンビの格好をした映画部の部員たちに向かって、スクールカースト上位の人間たちに襲い掛かることを指示します。そのシーンを撮影しようとします。実際の映像がどうだったかはわかりませんが、確かに前田の目には、ゾンビがリア充たちを食い殺す最高のシーンを撮影することに成功します。スクールカースト下位の人間がスクールカースト上位の人間に反旗を翻すこの瞬間が映画の中での最高のカタルシスな瞬間です。スクールカーストがひっくり返る瞬間なわけです。
その後、少し落ち着き、宏樹以外の生徒が屋上から去っていった後に、前田が落としてしまったカメラを拾ってあげた宏樹が前田にそのカメラを撮るふりをしながらふざける感じで質問をします。
「将来は映画監督ですか?」「女優と結婚ですか?」と。前田は飄々と答えます。「いやー、それは無理かな」と。その回答に宏樹は少し驚き、さらに問いかけます。「それならなんで映画なんか撮っているの?」と。前田は照れながら答えます。「自分が撮った映像が、ほんの一瞬だけど、大好きな映画と重なる瞬間があるんだよね。だから撮っている」と。そして、宏樹からカメラを受け取り、今度は反対に宏樹にカメラを向け、言います。「かっこいいね」と。前田は単に見た目がシュッとしていて「かっこいいね」と言っているはずですが、一方で宏樹は動揺し、涙が出てきそうになります。自分が何もない空っぽな人間であることをカメラを通して見透かされているような気がしたからです。「俺は(撮らなくて)いいよ」と言い残し、涙がバレないように屋上から去っていきます。
このシーンで宏樹は決定的に気づいたのです。自分は何も持っていないと。とことん空っぽな人間であると。
彼は、映画を撮るのは、将来映画監督になるため、少なくとも、そういった何かしらの打算や計画、夢や目標というものがあると思って質問をしたのです。しかし、前田はそうではなかった。ただ好きだからとか、撮りたいからという気持ちしかなかった。
一方で、自分はどうか。勉強もスポーツもなんでもできる、友人に恋人に何不自由していない、だけど自分は空虚な人間じゃないかと、打ちひしがれたのです。
その後、別の場所で偶然野球部のキャプテンと居合わせます。このキャプテン、どうやら野球は上手くないようですが、部活を引退した後も練習をやめません。このことに前々から疑問に思っていた宏樹は聞きます。「先輩はなんでまだ練習を続けるんですか」と。キャプテンは答えます「ドラフト終わるまでは、一応な」と※1。そして、これまで野球部の練習に参加するように誘ってくれていたキャプテンは宏樹に対して、「部活には無理に出なくてもいいから」と優しく告げます。
こうして前田と対峙することで自分が実は何もない空虚な人間であることを自覚した上に、野球部にすら居場所も無くなってしまった宏樹が、桐島に電話をかけたところで映画は終わります。桐島がその電話に出たかどうかはわかりません。
※1 プロ野球選手になるためには11月ごろに行われるドラフト会議で指名される必要がある。通常、高校野球は夏の大会が最後の大会になるため、どれだけ勝ち残っても甲子園が終わる8月には3年生は部活を引退をする。そのため、8月以降も練習をするのは、プロ野球選手になりたい人やなれる可能性がある人、大学や社会人でも野球を続ける人とかなり限られる。