享楽はサントームへの癒やし
ラカン哲学の結論はなかなかおもしろい。
「神経症も精神病も関係なく、人は自分の症状(サントーム)といい感じの距離をとっていればそれでよい」 「症状の原体験に幼児期の言語との出会いの衝撃がある。その人固有の原体験に対して、社会的な言葉による説明をつけるのではなく、自分なりの言葉を与えるのが大事」
「自分なりの言葉を作り、自分なりの大他者を作ることは、洗練された自閉症がやっていることと同じである」 これ我が家では当たり前のやつだ。千葉氏を経由して影響を受けているとはいえ。
症状とうまくやっていくのに大事なのが創作だ。結局のところ、各々の創作行為を突きつめると自分の症状との向き合いになってくる。
それがわかっている人は、他者がどう言うかよりも自分がどう作りたいかを優先する。そうやって毎日作り続けることが、症状への癒やしになるのだ。癒やしは自分で与えられる。これを享楽という。
かっこいいsta.icon
non117.iconしか勝たんsta.iconsta.icon
わかってない人は真似をして、他者の歓心を買おうとする。洗練されていない自閉症。社会的な言葉、自分のものではない言葉で妥協をするようなものだ。こういう人の創作はつまらないものができる。人に合わせちゃうから消費はされるけれども。
人に見せる創作で大事なのは、自分の症状と関わる創作を人に認められることだ。たった一人でいい。症状の核の部分を表現し、それが伝わればよいのだと思う。
これなー
俺のもので皆に刺すってのがそもそも傲慢かsta.icon
刺さる奴が一人でもいてくれたらいい
刺さってる人がいたら嬉しい
この前感想もらったのはめっちゃ嬉しかった
まあいせむげがサントームと関わってるかというと微妙だけど(というより関わってるかどうかを判断できるだけの能力なり素養なりが俺にない)
関わってないな
つらくて一時中断しちゃったもん(昨日2023/08/12)