サントーム
その人だけが持つ「特異性としての症状」のことです。こうして精神分析は人それぞれが持つ「特異性としての症状」と「同一化する/上手くやる」ための実践として再発明される事になります。
歴史的経緯の部分読んでないからピンと来ないsta.icon
この概念とともに出て来るのが、サントームで、それは、「象徴的なものと現実的なものとの不調和を、想像的なものが補いきれないというパターン」(p.9)のことである。
なんのこっちゃsta.icon
よりかんたんに噛み砕こうとしていて、それが、
サントーム(sinthome)とは、症状(symptôme)の古い表現である。サントームとは、まずとりあえずは、この症状と同じ意味を持つ。そしてこの症状とは何かというと、それは無意識の生成物であり、人間の言語活動から出て来る隠された意味と考えれば良い。
が、なるほどわからんsta.icon
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ラカンは、後期になって、次第に現実界への比重を高めて行く。最初は対象aこそが、精神分析において、現実界を表すものだと考えた。対象aとは、想像的他者(autre)のことである。しかし、対象aは実は現実界の見せかけでしかなかった。 創造的他者こそが現実界を表すものでは説 → 違う、実は見せかけ
創造的他者?調べても定義がない
現実(これが現実解)を真に伝えることはできない。言語で断片的に伝えることができるだけsta.icon
そこで登場するのが、一者という概念である。
はい
人間は最初に言語に遭遇し、言語的な存在となるが、そこで現実界との遭遇がなされるとラカンは考える。その遭遇が残したものが一者である。つまり、一者とは、人間が言語と遭遇した時に残された痕跡である。それはトラウマであって、反復現象の基になる。それをラカンは、S1と表す。それは最初のシニフィアンであり、単独で存在する。
言語により現実を捉えるsta.icon
そのときに残したものが一者とのことだが、「残した」ってどういうこと?
すでに私たちは、S1—S2、つまりシニフィアン1からシニフィアン2への言語構造を知っているが、
どういうこと?たとえば「海」なるものを「うみ」というシニフィアンと「sea」というシニフィアンがある、みたいなこと?sta.icon
そちらを二次的なものとし、それ以前にあるものとしての単独のS1を考える。S1は直接現実界と接触しており、これを現実的無意識と考える。
シニフィエのこと言ってる?シニフィエ=現実的無意識?sta.icon それとも最初に発見されたシニフィアンのこと?
無意識ってネーミングもよくわからん
それに対して、S1—S2が表す無意識は、言語として構造化されている無意識であり、こちらを一段格下げする。
一者は反復する。それが享楽である。
わからん。いきなり反復すると言われても何が何やらsta.icon
……そこに享楽を認めるのである
とりあえず享楽なるものを認めるんですね、はいsta.icon
さらに、この享楽とシニフィアンの関係が考察され、サントームとは、享楽が直接浸透した意味形成、または享楽とシニフィアンの不可能な接続であるとも言われる。 接続や補完ができないという不備、みたいなこと言うてるってのはなんとなくわかるが……くらいsta.icon
なんか反復性もあるみたいですねsta.icon
わからん
君らどういう物の見方で論じてるの?
どっかで神経症と精神病を分けるのが大事みたいなこと書いてたけど
症状を「サントーム(sinthome)」と呼ぶようになった。「サントーム(sinthome)」とは「のちに症状と呼ばれるようになったものの古い書き方」という意味であり、症状を「象徴的意味の側面(S2)」ではなく「現実的享楽の側面(S1)」から捉えるものである。
S1やS2ってそういう意味だったんかsta.icon
精神イかれてる奴は享楽(自分独自の自己満足的世界観とでも言えばいいのか?)が行き過ぎてる状態、みたいなこと言うてる?sta.icon
すなわち、サントーム概念の導入は、ある意味で神経症と精神病の境界線を消し去ってしまうのである。
わからん
神経症と精神病の違いがまずわからん
ChatGPT.icon
ラカン哲学におけるサントームとは何?
ラカン哲学におけるサントーム(santôme)は、フランス語で「ブランケット」という意味です。ラカン哲学では、この言葉を用いて、個人の無意識が隠蔽された領域や不都合な思考が覆い隠されたり、抑圧されたりしているという概念を表現しています。
サントームは、人々が自己を認識する際に一部の情報や記憶を忘れたり、隠匿したりしてしまう傾向を指します。これによって、個人は自己を認識する際に必要不可欠な要素を欠落させ、特定のイメージや思考に偏りが生じる可能性があります。また、サントームは社会的な規範や意識の圧力によっても引き起こされます。
ラカン哲学では、サントームが無意識の存在を強調し、人々が表面的な意識のみにとらわれることから生じる問題について議論しています。サントームを解明し、個人の無意識が持つ力を理解することで、個人の主体性や自己認識の改善が可能になると考えられています。
ほんまかぁ?wsta.icon
無知だから何も判断できん
自分が持つ「忘却や隠匿の傾向・癖」という説明は少しわかりやすいsta.icon
より雑に言えば、思考や価値体系に偏りを生じさせているもの、とか?
そしてサントームは無意識レベルで起こっているので、意識や感覚で捉えられる表面的な部分との乖離が起きてると感じる、そこに苦しさがある?