メタワークは今後ますます重要になってくる
仕事Aをこなすことだけ考えておれば良いというわけではない。
たとえば以下も重要である
新人がAをこなせるようになるまでのリードタイムを小さくすること
Aそのものの意義や価値を疑うこと
Aと繋がっている他の仕事を意識すること
Aを開始するまでのリードタイムを小さくすること
応用、突発、セレンディピティなどのために余裕(ゆとり・あそび)をもたせておくこと
Aを汎化して再利用性を高めること etc
なぜなら
時代はVUCAであり、正解がなかったり変化は早かったり多かったりするからである 多様性は尊重されるべきだからである
加えて社会情勢もsta.icon
これは総務省労働局調査で、2019年時点で働ける人のうち9割がもう就業しているというデータ
短絡的ではあるが「もう1割しか残ってない」「人手不足は当たり前になる」「やり方の改革が必要では?」という感じ
よって、「今採用されているやり方にとりあえず従う」では、
正解に辿り着けない
変化についていけない
合わない人合わせられない人も苦労する(ひどいと排除される)
正解に辿り着けるやり方を、変化についていけるやり方を、各自に合ったやり方を使う必要がある
そのためにはやり方そのものを自覚し、必要に応じて変えたりつくったりするという「メタな視点」と「それが行える知識や行動力(あるいは推進者や推進の仕組み)」が必要
メタワークは近年になって実現可能になってきたものである。
メタワークは以下理由により、行いやすくなってきた。
A 各種方法論・テクニック・概念や体系の発展
B デジタルツールの発展
今や深い知識人やエンジニアでなくても実践できよう。
メタワークの現状。
既にメタワークを生業としている人や世界もあるが、まだまだ十分とは言えない。
特にサラリーマンの世界では、コアワーク(仕事A自体をこなすことと定義しておく)だけに躍起になっている
用途に応じた別のツールを使おうとか、安易に会議で拘束するスタイルから脱しようといったことができない
例2: メタワークな得意な者もコアワークに駆り出されてしまっている
サラリーマンの一人一人がメタワークのリテラシー(メタワーキングリテラシー)を持ち、コアワークオンリーという非柔軟性と視野狭窄から脱する必要があろう。 啓蒙者が必要であろう。
メタワークを生業とするエンジニア、というのはどうだろうか?
職業名が無ければ(現在と同様、たとえば「自己啓発」と同様に)軽視され続ける、あるいは趣味の域を超えられない
メタワークのプロフェッショナル、メタワークという専門職、メタワーク戦士といった立場・役割の定義が必要であろう