タスクを実行しないという判断をどんな基準で決めるか
タスクを実行しないという判断をどんな基準で決めるか
短期的に見るなら、コンテキストであろう。
たとえば背景。あるタスクの背景・前提・状況を知ることができれば、今すぐそれを行うべきなのか、それとも後でやればいいのか、あるいは様子見が必要でウォッチだけ整えておけばいいのか、といったことがわかるであろう。
たとえばFollow/Follower。要は依存関係である。もしあなたがタスクTを行おうとしていて、しかしTを含め、多くのタスクが依存したXというタスクがあるとしたら、おそらくTはしなくても良い。Xを終わらせるだけで、依存先のタスクたち(T含む)もなくなるからだ。
他にもコンテキストには色々ある(コンテキストのABCDEF)。一度見つめてみると良かろう。要するに、判断材料が少ないから判断をしづらいわけで、コンテキストとはまさに判断材料である。知れば知るほど、あなたは判断を行いやすくなる。 このとき、重要なのはあなたの気持ちや都合ではなく、あくまでもコンテキストに沿って考えることだ。ヤバそうなタスクは実行しておいた方が良いし、逆に放置できそうなものは放置(実行しない、と判断する)で良い。ヤバそうだがやる気が出ないので実行しない、などとすると、後々痛い目を見る。
長期的に見るなら、ビジョンとゴールであろう。
ビジョンとゴールについてはATGVモデルを参照されたい。GTDでいえば5000, 4000, 3000mのあたりだ。別の言い方をすると「直近達成したい目標に必要なこと」「自分の哲学や信念や価値観や資質」などに反すること、はしないという判断をせよ、と言える。 たとえばあなたがプロ野球選手になりたいのだとすれば、野球に必要なこと以外はほとんどしないであろう。大谷翔平のマンダラートは有名であるが、彼もあのマンダラートを常時見返し、やらないことの判断に役立てていたはずである。もう一つ、たとえばあなたが資質的に人を教育するのに不向きだとしよう(極端な話、発達障害であれば特にありえる)。この場合、人を教育するような道は歩むべきではないし、実践も行うべきではない。この事がわかっておれば、仕事でも、日常でも、そのような機会が訪れたときに即行で断ることができる。魅力的に見えても。あるいは断るのが難しそうであっても。必要ならば衝突も辞さない。
人はもったいない星人かつ申し訳ない星人なので、このような営為は難しい。10人に1人もこなせていないのが現状であろう。本当に達成したい、維持したいという強い気持ちか、さもなければ「気持ちがあるかはわからんけどしばらくやってみる」と我慢して続けるか、いずれかの資質が必要である。これらを持たない場合、そもそも判断基準がないわけなので、判断もくそもない。そもそも、持っていたとしても、判断には勇気や捨て身を要する(ことが多い)。よって、この長期的視点に基づいた(実行する・しないの)判断を身につけたいのならば、早くビジョンやゴールを持ち、判断の実践を行って慣れていく(鍛えていく)必要がある。
厄介なことに、人は生きれば生きるほどしがらみが増えていき、実行しないという判断も難しくなってくる。立場上、自分でなくてもできること(で他者に任せられること)や既に経験したことであればすぐにでも「これは実行しない」と判断できるが、逆を言えばそれだけだ。それ以外の状況では、まるで判断ができなくなる。そしてそんな自分を、収入や立場があるからまあいいかとか、これが大人になるということなのだとかいった言い訳で正当化する――。
もう一つ重要なのは、言語化して外に出す必要があるということだ。外に出しておけば、それを見るだけで思い返すことができる。このような判断材料・判断基準は、適切なタイミングで思い返すのが最も難しいものの一つであり、脳内だけで済まそうとすると上手くいかない。だからこそ、10人に9人はできない営為なのだ。これは格言問題と呼ばれ、単に暗記問題や課題を解くのとは一線を画する難易度である。外に出して、それを見ながら内省するという行動がどうしても必要なのである。もちろん何事にも例外はあり、脳内で完結できてしまう猛者もいるが、ごく少数なのであてにしてはいけない。 まとめると、コンテキストを見ず、またビジョンやゴールも持たない者は、タスクを実行しないという判断を行うことができない。
判断基準がないがゆえに、行いようがないからだ。
🤔
取り上げてもいい
タスク x 判断という切り口で上手いタイトルがあれば
ビジョンとゴールは不便なので用語つくった →ゴージョン