サマタ瞑想
いわゆる無心
「記録したい」「浮かんだことを失いたくない」という執着を例に挙げている
「思いついたことに対する執着」
全部バカ真面目に相手するのをやめてみよ、的なことを言うている
それでもなんだかんだ学びにはなるし、蓄積はされていく
そのうち「あーこれ別に書くまでもないな」「もう知ってる」など既知や既存が増えてくる
そして、
思いつく速度よりも処理される速度の方が上回ってくる
らしいsta.icon
そうなると、
いずれ、何も考えていない状態が訪れる
とのことsta.icon
心を鎮める
集中瞑想ともよばれ、呼吸など、こころを特定の対象に結びつけて集中力を養う瞑想。 上座部仏教では、サマタ瞑想によってある程度の集中力を作れたら、次のヴィパッサナー瞑想へすすむ。 無にするというより、対象を定めてそいつに注力&順応することでバインドするイメージか?sta.icon
心を鎮めて「心が鎮まっている状態」をよく観察すると、次に「心がざわめいている状態」が識別できるようになる
この「ざわめいている状態」の開始のタイミングに何が起きているかに注意を向けていく
これによって「何が心をざわめかせるのか」がわかるようになっていく
直接は関係ないけど、自分の精神状態を把握して対処する(落ち着くとか取り除くとか)ことの重要性sta.icon
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いわゆる「ぼーっとしている」
いわゆる「煮詰まった」「何も出てこない」とは違うのか?
睡眠との関係は?
寝るのが下手なやつはサマタ瞑想も下手?
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「何も考えていない状態」を「認識する」って無理じゃない?sta.icon
認識という行為も「考えること」にはならないか
で、認識したら、他にも色々湧いてくる(あるいは目に付く)ものではないか
そもそも自分の状態を認識する、というのもよくわからないところがあるsta.icon
指が怪我して血が出たら明らかにわかる(見ればわかるし、傷に水当てたりしたら明らかに痛いのでそこがおかしいんだとわかる)
お腹が減るのもわかる(腹から音がなるし、空腹感もある)
ムカつくとかもわかる(運動して心拍数上がるように「何かが」上がっている)
「私は今何も考えていない状態である」 ← どういうこと??
たぶんすでに何度も経験していて、単に自覚できてないだけって気はしてるけど……sta.icon*2
フィードバックもらたsta.icon
車ボンネット洗っているときに鳥のふんがついてたと気づいたとき、という例
気にしていつまでもネチネチ苛ついてるか、すぐにスルーしてなかったことにするかの違い
後者が良い
余計な思考を減らす?sta.icon
目的は思考を減らすではなく苦しみを減らすことnishio.icon
慣れた作業は思考せずにもできるので、参考にできるかもしれない
「慣れた作業」に頼ってサマタを導くのが良いのかもしれないなsta.icon
サマタを導くには?
思考せずにできるような慣れた作業に頼る
苦しみを生むもの自体に対処する
まさに盤外戦。最近たくさん書いてきたことや……sta.icon