CRC原則
価値のあるやり取りを行うために必要なこと
(価値の定義はあえてしない)
Closed …… クローズドがあれば、外敵を防げる
Respect …… 敬意を持っていれば、争いを避けられる
Communication …… コミュニケーションを繰り返すことで「相手の許容ラインの把握」と「相手の許容ラインの緩和」を行っていける
緩和された許容ラインが見えてきて始めて、(その許容を超えない程度に)率直な言葉をぶつけることができる。
Q&A
Q: なぜクローズド?
オープンな場所だと遠慮も敬意もクソもない人(外敵)が来る可能性がある
このような状態では、人は警戒して
何も言わなくなる
無理をする(攻撃されないように or されたときに死なないように武装する)
こんなしょうもないことに疲弊したくない
クローズドにしてしまえばいい
Q: なぜ敬意?そもそも敬意とは?
敬意とは相手の許容ラインを超えないというスタンスと要領のことである(としておく)
相手の許容ラインを超えた物言いをすると、相手との争いになる
争いは辛い
そもそも会話にならない
勝ち負けになってしまう
争いを防ぐためには、「許容ラインを超えた物言いをしない」しかない
つまり敬意を持って接するということ
Q: 何も言わなければいいってこと?
それだとやり取りが生まれない
やり取りがもたらす価値(これの言語化はここではしない)は無視できないから、やり取りはしたい
Q: 許容ラインを把握する必要性は?緩和する必要性は?
まず大前提として、
許容ラインは相手によって違う
AさんのそれとBさんのそれは違う
許容ラインは可視化されていないため、(相手とのやり取りをもって)探索するしかない
許容ラインを知るためには、やり取りをするしかない(把握)
もちろんいきなりライン超えちゃうようなことは言えない
まずは小さなネタでやり取りを繰り返して、「これは良さそう」「これはダメそう」といったことを学んでいく
ただし、把握しただけだと「そもそもAさんはXを許容しない仕様」だったときに、Xに関することを言えなくなる
そしてこのようなX(非許容対象)が多い・広い場合は、そもそも価値のあるやり取りができない(あるいは非常にやりづらい)かもしれない
幸いにも、親密になることで許容ラインは変化(というより緩和)されていく
緩和により非許容対象が減っていく
価値のあるやり取りが行えるレベルにまで減らせる(かもしれない)
因人而異也代表必定沒有標準答案
必定沒有判別「容忍界線」的標準答案
+1sta.icon
もっと言えば、「許容ライン」が人によって違う
-.icon
検討残骸
rashitaさん
やりとりは有益
ブログをスタートさせてからの方がずっと面白く、有益になったと感じる。それはやっぱり「やりとり」があったからだろう。
やりとりがあったからこその益
自分の考えの組み立て方そのものを変えていく。頭の中で勝手に拵えた「論敵」ではなく、リアルな声として生成されるようになり、その声に応えるように論を組み立てるようになっていく。
言いたいことが通じず、自分の方を変えざるを得ない
Q: 何も言わないのが無難?
yesだが、それだとやりとりにならない
Q: ではどうすれば?
互いに敬意を持った率直さで意見交換できる(少なくとも、相手を人間だと思って物を言う)場である必要がある。
でもって、そのような場は、フルにオープンなものではなく、ある程度のクローズドさが必要なのだろうとも感じる。
敬意、率直さ、クローズド
noratetsuさん(and issacさん?)
「敬意」+「率直さ」の両輪
「自然で敵意のない『会話』が生まれる場」というのが、たとえ対面でなくとも人間同士である以上は必要なのだろうと感じました。
会話的要件を満たさずに敢えて敬意を捨てて言い争うということにどのようなメリットがあるのかはよくわかりません。でも必要だと感じる人はいるようなので、
sta.icon
敬意と率直でマトリクス組めそう
table:m
敬意がない 敬意がある
率直にやる 1 2
率直にやらない 3 4
1 敬意無き率直
匿名掲示板とか
2 敬意ある率直
ここに至りたい
3 敬意も率直もない
つまらへん?
ありきたり、表面的、社交辞令
4 敬意はあるが率直にやらない
つまらへん?
敬意だけあってもしゃーない(やり取りにならない)
偶発的敵意と意図的敵意
意図的敵意をぶつけるのは論外として
自覚がないまま敵意をぶつけてきていると誤解されるケースがありそう?
クローズド(ここはかなりsta.iconの解釈が強い)
良きやり取りにはある程度の前提が必要
オープンだとその前提をもってない人も絡める(うざい)
クローズドにすれば防御できる
会話的要件?
相手から引き出したい
争いたくない
無理をしたくない(マウント取る等?(「自然で」にあたる部分
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引き出すためには、率直が必要
争わないためには、敬意が必要
無理をしないためには、クローズドが必要
無理をする(=自然に振る舞わない=演じる)こと means
「争いの発生や発展を避けるため」
あるいは
「争いが発生した場合に被害を被らないため」ために備えること
オープンになっている(あらゆる人間が来るかもしれない状態になってる)と、争いに巻き込まれる率も高い
無理をして備えなければならない
繋がったsta.icon
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もう一つ何かある気がする。。。
「仲良くなること」的な?
クローズドがあれば、外敵を防げる
敬意を持っていれば、争いは避けられる
率直さがあれば
レイヤー違う感じ
「率直さを持つ」みたいな概念ではない
率直は誰もが発揮できること(率直に言うかどうかの違い)
XXXを持っていれば、率直に言うことができる/言われることができる
XXX is 何
親密
これしか浮かばん。。。sta.icon
Q: じゃあそれでいいんじゃない?
内敵?
経験、もっというと学習
Aに対して率直に言うとして、何が率直になるかはAによって違う
そしてそれは完璧に言語化されているはずもない
よってやり取りを繰り返して模索していく(学習していく)必要がある
で、いきなり踏み込みすぎると争いになって取り返しがつかなくなる
争いにならない程度にジャブを撃っていく
学習していけば、「よし、もうちょっと出せるな」とかわかってくる
うーんsta.icon
何が率直になるかは、たぶん親密度によって変わってくるよなぁ
ものすごく極端なたとえをすると、「胸が強調されてる服着てるからやめた方がいいじゃない?」は十中八九セクハラになるが、相手が親しい(たとえば夫婦)だとまともに話し合えるだろう
たとえば「は?なんでこっちが遠慮しないといけないの?」「でも実際いやらしい目で見られる事が多いんでしょ会社では?つーか同じ職場だからわかるけど、見てる奴結構いんぞ。俺もそうだったし」……みたいな感じで進められる
いくら相手のことを理解したからといって、相手側に「胸発言は許さない」があるとしたら、胸発言はこの場合はNG
親しくなることで、NGだったらこの内容がOKラインにまで降りてくる
この「降りてくる」を司るパラメータは何?
親密……?
が、議論カオスになるのでいったん親密だけにする
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やり取りを経ることで相手の判定仕様を知ることができる
一度でもしくると争いになるので、ジャブを撃って少しずつ試すしかない
長期戦になりがち
親密によって相手の判定仕様を変えることができる
「お互い敬意を持っており、外からちゃちゃ入れられることもないとして、では率直に言い合うためには何が必要か」
出会って1秒で言い合えるかというと、Noだろう
いや、言えるかどうかで言えば言えるけど、言ったところで争いになるかもしれない
敬意があっても、内容次第では争いになる?
それとも敬意には「出会っていきなり率直を出すには無し」的なのも含まれている?
外敵と内敵
クローズドにすれば外敵(そぐわない者)は防げる
しかし内部の者がそぐわなくなる(敵と化する)可能性がある
これを内敵と呼ぶことにする
内敵を防ぐには?
発生を防ぐには?
発生したときに鎮圧なり排除なりするには?
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ここまでをまとめようsta.icon*2
Closed …… クローズドがあれば、外敵を防げる
Respect …… 敬意を持っていれば、争いを避けられる
Communication …… どこまで踏み込んでいいかを探るためには、検証(やり取り)を繰り返すしかない
Familiality …… 相手の許容ラインを下げるためには、親密度を上げれば良い
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Closedに囲め
Respectを持って接しよ
Communicationを繰り返して相手の仕様を知りつつ、相手のFamilialityを上げよ
Communication Repeatly, Inrease Familiality = CRIF
これをCRIFサイクルという(ことにしようw
なんかそれっぽくまとまり始めたがw
名前は?
率直、敬意、クローズド
frank, respect, closed
RFC(Request for commentsと被るw
FRC
CRF
CFR
欲を言うと、これだと語呂が悪いから母音一つ入れたいw
CRCF
順番的にこれかなぁ
C、R、C&F
いや、もうこれCRCで良くない?
Communicationにより相手の仕様把握と親密度向上を同時に行える、とすればスッキリする
うん、CRCにしようsta.icon
CRC定理?
定理というネーミングはギャグだが、わかりにくいので「原則」くらいがいいか
相手を人間だと思って物を言うということ
たぶん僕は人を物だと捉えている側の人間な気がする
が、どういうことなのか自分ではよくわかってない(自覚がない)感じがある