ASDは知り合いの知り合いを考えるのが苦手
ASDって「知り合いの知り合い」を考えるのが苦手だから集団を個人と見なしている様子があって、例えば病院に対して何か伝えるとき、看護師1人に言ったら瞬時に病院全体で情報共有されると考えていたりする。「病院」という個人になっている。
ASDはエゴセントリック
常に自分を基準にする
というより他者や外部環境といった枠を意識する能力がない
知識として持っておくことはできる
で、知識というと言葉やラベルつけや分類だよね
だから人に対しても安直にラベリングや分類をする(しかない)
作り手の立場になると「知識」として歩み寄ることはできる
特にプログラミングはかなりブレイクダウンして理解・作り込みを行うので有益
上記の看護師の例でも、病院のシステムを理解すればそうじゃないとわかる
看護師、看護師長、医師といった人物
いつ誰が何のデータをどう渡すかというワークフロー
病院内で使われているデータの定義(モデル) etc
このあたりを把握できれば、「看護師に何か言ったところで病院全体に共有されるわけではない」と(仕組みとして)わかる
逆を言えば、わかるためにはここまで理解しにいかないといけない。。。sta.icon*2
逆に健常者はどうやってんの?
看護師の視点に立って、これまでの人生経験も総動員して、上記レベルの知識を肌感覚で再現できるってこと?
僕含め「できてるかもしれない」と考えているのは気のせいかもしれない
健常者は思っているよりも高精度でできているのでは
僕の場合、井戸端民の誰かを浮かべたり飼ったりすることはできるが、その人達に「うんち~!」と言わせることもできる
高精度で飼っていたら「いやその人はそんなことはいない」になるはずだと思うが、僕のは精度がないので言わせること「も」できてしまう
飼ってるというか、ただの創作なんだよなw
その人達という設定情報をインプットしているにすぎない
飼っているとは言えまいsta.icon
ラノベなど創作でも不利?
yesだと思ってるsta.icon
自分の思いつき、つくりこんだ設定、テンプレの域を越えられない
まあ創作は正直それで(も)いいとも思ってるけど
特になろう系はテンプレや記号や属性を重視するのでなおさら
が、マジョリティの共感を生むような繊細なものは書けない
作家として大成することがないとも言える。要は才能がないsta.icon*2
(まあなろう系などテンプレなどを素早く生かして形にできる才能、という路線もあるけど)
というより1.0に向いてないsta.icon*2