疲労
みたいなのに近い考え方のような気がする
固定化においては、世界が可能的なものを持たず、現にこうであることに還元される事態
疲労とは、世界が「可能的なもの」を持たず ―― あるいはそれを実現することができず ―― ただひたすら「現にこうである」ことに還元される事態であり、またそれを指す概念である このような生の様態を打ち破るには、私ならざる〈他者〉が、その表情や振舞いをとおして、疲労 ではない 世界を表現することで、意識とその対象を分離する否定作用、無化作用をもたらさなければならない。〈他者〉はそれゆえ、 可能な外的世界 を表現するもの、つまり「可能世界の表現」(LAT 254/324) と定義される。