啓蒙
啓蒙という歴史的プロセスがもつ不可逆性である。ひとたびそれがはじまると、啓蒙はその前後を、つまり進歩(゠啓蒙゠左派)と保守(゠反動゠右派)というふたつの立場を生みだす。だが理性の光がもつ「自明」な正しさによって、保守の立場はあらかじめ不利な、というよりもそもそも「矛盾した」状況に置かれることになる。近代的な二項対立にあって保守の立場は、「基本的にFワードが意味するもの」でしかないのだとランドはいう。だがにもかかわらず、「何かが起きている」。 その「何か」こそ「新反動主義 Neoreactionary」