コミュニケーション資本主義
ディーンはそうした編成のことを「コミュニケーション資本主義」と呼ぶ( 23)。対人ケアのような情動労働というかたちであれ、 共有 と表現の動員というかたちであれ、遍在するメディア回路やグローバルなコミュニケーション・ネットワークへのさまざまな寄与 ―― それらを通じてユーザーからますます多くのデータとメタデータが提供されることになり、またそうして得られたデータをメディア回路は保存・蓄積し、採掘し、販売することになる ―― というかたちであれ、いずれの場合にも、コミュニケーションが資本に奉仕している コミュニケーション資本主義の時代は、強いられた個人性の時代である。つまりそこでは、「個人的なことは政治的なこと」という支配的な権力構造を擾乱するための問題提起が、「政治的なことは個人的なこと」ないしは「個人的なことのみが政治的なこと」という、個人主義を基盤にしたアイデンティティ政治へと反転されてしまう コミュニケーション資本主義とは、参加と包摂という従来の民主主義的理念が、流通・凝集・略奪・蓄積のプロセスからなる資本主義のダイナミクスと合体しつつ、その動態を加速するシステムのことであり、①〈 発話の使用価値から交換価値への移行〉(ネット上を循環する発話の価値が、その意味内容よりも、情動を喚起する度合いや、閲覧者数・検索ヒット数等によって計られるという事実に見られるように)、②〈象徴的(象徴界の) 効力の衰退〉(共通の意味作用の欠如や、議論のさいに参照されるべき共有の理解の喪失に見られるように)、③〈不平等の増幅と拡大〉(Twitter のフォロワー数の違い等々が顕著に示すように、複合的ネットワークの上位項と下位項のあいだにはリンク数の巨大な格差が存在するけれども、下位項間にはほとんどその差がないという、べき乗則に従った分布を生み出す「ネットワーク効果」に見られるように) の三つ