存在と時間
https://gyazo.com/af9af4b09b80d110d59c09b0bb075a2a
存在とはなにか
テキストを持っている
「机」
机の上にはコーヒーがある
だけどハイデガーはこれを「存在しているもの」であって存在そのものではないと言っている
どういうこと??
「〇〇がある」という文を考える
存在の概念として考えるときに〇〇ではなく「がある」の方になる
と区別している
〇〇ばかり思いを馳せていてもいつまで経っても存在の意味を解き明かすことはできない
存在の意味を問う存在者のことを言う
どういうこと??
存在という言葉が何を意味するのかを少なくても知っていおく必要がある
「りんごは何か」
りんごそのものを事前にを知っていなくてはならない
人間というものを考えるときに一旦世界から人間を引っこ抜いて世界から剥がした独立した実体として考えていたのが、今までの哲学 ハイデガーはこれをありのままに捉えていくことが重要と言っている
不安からの逃避
みんなという群衆から人は中々自由になることはできない 例えば
その場の空気感によって空気を読んで「みんなこうしているという」規範とか通念によって生きていることがほとんど
「あの映画おもしろかった」という感想を抱いた
しかしこれはみんながそう言っていたからという空気に同調しているだけだという
うーん。わかるようでちょっと引っ掛かるな。。
身も蓋もないよな。。
「安心」できるからである
なるほど。これはめちゃくちゃわかる
不安よね。みんなと違うことをしだすのは
「なんとなく不安」にみたいな時があるのは何故か
それは不安には明確な対象がなくこの世界に自分が存在している事自体だから不安になる
???
みんながこうしているみたいな群衆を正解だと思い込もうとする
死の可能性に向き合うことは生きることについて考えることである
これめちゃくちゃいい
死に向き合うと今までみんなそうしてきたみたいな行き方を捨てることができるんだなーrkasu.icon
みんなこうしているだから仕方ない、どうすることもできない
でも従わないこともできたのではないか?と気づくこと
この本は本来性を取り戻して自分らしい人生を選び取ることができるようになるかを研究した本だ! 存在と時間を超えて
ハイデガーがなぜナチスに加担してしまったのか
決意性の概念が理由である
決意性は従わないこともできたのかと良心の叫び声によって気づくことだけど、それは自分にとって正しいことなのか間違っているのかまでは教えてくれない
正解を教えてくれないので自分が決めたこと、決断についてそれを止めることはできない
存在と時間には「何をすべきか」「何をすべきではないのか」」という論理の問題が抜けている SNSで起こる色々って哲学、思考のぶつかり合いなので取り上げた例は考えやすいんだな。rkasu.icon
ハイデガーは存在の意味への問い
サルトルは実存は、本質に先立つという考え方なのに対して、ハイデガーは実存の理解は伝統的な存在論に基づた考え方にとどまって克服しないといけないという発想だった