210826
ネーミング
名前を与えられると、人はそれについて初めて考えられるようになり、概念について共感したり、議論したりできるようになる。
マネジメント、と言う名前が受け入れられないことはよくわかっていたので、「サポート班」と名付けた。
元々、技術的な話が好きな人がたくさん集まった集団だったため、ホワイトワーカー的なマネージャーという言葉は受け入れられにくいと予想していた。
特にサークルで「マネージャー」などというと、運動部で用具や水分の準備、タイム計測などをしてくれる女子マネが思い浮かべられてしまう
言語化は、習慣と実践の産物である
すなわち「言語化しなければならない」と感じたことに対して
・書き出すこと
・辞書を引くこと
・寝かせて推敲すること
・人に見せて意見をもらうこと
という、極めて単純な行為を、繰り返し実践した人だけが、身につけられる。
いつまでたっても、自分の要望や案を「言語化」する作業を、外部に頼るようになるからだ。それは「生み出す側」ではなく、「消費する側」の態度であり、仕事の態度ではない。
組織マネジメントにおける性善説、性悪説
https://gyazo.com/84b172af8408457873d67eb01c8d0439
そのままのものを文脈剥離して「カワイイ」と愛でる原宿的手法なグラフィックだ—まるそう
「三流の人は金を残す、二流の人は事業を残す、一流の人は人を残す」ってゆう名言があるけど、「超一流は文化を残す」よね。人がいなくなっても文化が残れば再現性あるし、時代を越えて残る文化が一番尊い。
【原材料のいま③】「膠」生産の源流たどる~武蔵野美術大の取り組み
組織論のおすすめの本を聞いているのを見て
(チームの意味での)組織論って、何扱ってるのかしらん?"学問"ぽい雰囲気を感じる
Team Geekとかティール組織とか失敗の本質とかはなんなの?
いわゆるチーム運営に興味持つ人がいるのは珍しいサークルだなぁ
ロボコンの時本読んだことには読んだけど、組織論をひとりで考えてもそこまで意味ないし、結局はチームメンバーの話を聞いたりやりながら考え続けるのが早かったし、そうするしかなかった。
自分の状況を把握する手助けに、他の組織の話をインプットして、いいなと思ったことをローカライズするのがいいと思うんだけど、このローカライズが難しいんよなぁ。
結果的に、カルチャーが〜とか言う一般的な言葉より、その集まりに合った言葉に変える必要があるし、結局変わる。
技術的な側面と、運営的な側面のどちらも等しく考えないといけない。
技術的な側面と、運営的な側面のどちらも等しく考えないと、特に運営的なものは中身がなくなるので回らなくなる。
しばらく続いてる団体なら、今までどうやってきたか、どんな意見が出てたか、を扱いやすい形(どうやってきたかはできれば数字を使って)洗い出すといいんじゃないだろうか。これは一般論ぽく書いてるが、一般論ではないな。
CULTIVATE
「マネジメント」「イノベーション」「デザイン」「学習・人材育成」「ファシリテーション」の5つの領域にまたがって、そこから考えていきたい
組織をよりよい状態へと変革していくアプローチ
「組織開発(Organization Development)」
組織における目に見えない人間の内面や関係性(プロセス)に着目しながら、ボトムアップ型の対話を通して課題解決をファシリテーションしていくこと
組織の風土やメンバー同士の関係性など、目に見えない問題へ働きかけることができるという点が特徴的
「組織デザイン(Organizational Design)」
組織の構造設計に着目し、「分業」と「調整」のメカニズムを用いて、適切な業務の割り振りや、階層やコミュニケーションラインを整えていくスタンス
コミュニケーションパスは人数に比例
分業
垂直(階層別)分業:組織を上流(考える人/指示を出す人)と下流(作業をする人)に分ける分業の方法。管理には適しているが、ヒエラルキーによる意欲低下を招きやすいというデメリットがある。
水平(並行)分業:考えることと作業することをセットにし、対象を分ける分業の方法。裁量権を持ち、意欲は向上しやすい一方で、各部門が自分たちの権限や利害にこだわり、外部からの干渉を排除する傾向を持ちやすく、その場合に部門間の協力が生まれなくなるというデメリットがある。
よくある分業体制
https://gyazo.com/c47fbe1c843b64cf9e51296f7d691e0a
分業同士を繋ぐのが「調整」、これがうまく働くことで組織が回る
調整には、
業務の、チームの、他チームとの連携、自分の、チームの、事業目的、経営の
優先順位、報告、課題解決、知識シェア、
構造とプロセスの両面に着目して、半トップダウン半ボトムアップのアプローチで進めていくことが重要
「ウォーターフォール型」
日本の多くの企業が採用している事業開発手法で、「先陣を切る人が、仮想の未来を描き、全体の要件定義にまで落とし込んでいく」
この方法は、1ヶ月などプロジェクトの期限が短い場合には適していることが多いが、それが6ヶ月など長くなるにつれ、「当初決めた要件が変わってしまう」という問題が多発
「アジャイル型」
開発期間を短く区切り「プロトタイプを作る→仮説検証→仕事の優先順位を変更」というサイクルを回していくことでプロジェクトを進めていく
本質は「仮説検証のリードタイムをいかに短くするか」
「みんなで話す」のも、全トピックについて話し合いで合意形成するのではなく、「優先順位をつけ、仮説検証をする」ことが重要
これをさっさと(3,4週間)回すことによって、組織内での暗黙知が生成されていく。どんどん溜まっていく。
テーマ設定とは自分のアイデンティティを振り返ることでもある。このような内省は難しいが、発信する場の“サイズ感”を変えながらおこなうと、良いテーマ設定ができるようになる。
姿勢としては正しいけれど、スタートアップなどで最初に経営者が絶対にやってしまう問題:「フラットに、みんなで考えよう!」これは特に、マネジメント経験がないうちに起業されるような若い方に多い事例。
組織をボトムアップにするということと、組織構造を作らないということは違う。
「トップダウンがひどい」という批判があるとき、その背景でメンバーは実は、完全なフラットさが欲しいのではなく、「自分主語の景色において自分がストレスなく自分主語で動けている感覚を持てていること」を欲している。
つまり、責任の範囲を明確にすることが大切。フラットといいつつ経営者が責任を放棄してしまっていたり、逆に全責任を負っていたりと歪な関係になってしまっていることは多いのではないか。
新任マネージャーにありがちな問題は、「それは、〇〇さんが言ってたんで」「俺もわかんないんだよねぇ」と自分主語で話していないこと。こういう言葉を言うと、メンバーは「どうにもできない、何も変わらない」と感じてしまい、(よくない意味で)トップダウンに感じてしまう。
ただし、ミドルマネージャーが範疇外の仕事について自分主語で語る、ということはとても責任が重いこと。しかし最低でも、ミドルマネージャーの仕事は、もやもやしたことは全部対話して潰し、アップデートを試みるということに尽きる、ということだけは心に留めておきたい。
先週、マネジメントの教科書の「1ページ目」に書くべき内容として「マネージャーは自分主語で語ろう」ということを挙げた。
しかし、そこには落とし穴がある。自分主語を意識しようとすると、マネージャーは大抵、チームの理念を考え、語ろうとする。しかし、実際にはメンバーからは「どうやったら実現できるの?」「もっと他に大事なことがあるのでは?」「他の人は違うこと言ってない…?」という反応が返ってくる。
「マネージャーや経営者こそが理念を考えて手渡し、その実現方法はメンバーが担当するものだ」と考えている人は多いが、それは単なる“トップダウン”であり、本来は逆であるべきなのだ。
むしろ、目標を実現するために必要なプロセス(目標設計・事業設計・組織デザインなど)については、上の人が責任を持って描き、自分主語で話さなければならない。メンバーにとっては、そうすることで初めてミクロな課題がクリアになるので、「実現方法は大丈夫そうだ、だから未来を対話してみよう」と、安心してチームとして理念や未来のことについて話すことができるようになる。
一方で、マネージャー自身があまりに意見表明をしないと「何を考えているのかわからない」という声がメンバーから聞こえてくるのも事実。
前提として、理念について考えを持ったり共有することは悪いことではない。気をつけるべきなのは、それをトップダウンメッセージで伝えず、「自分の考えとしてはこうである、どうだろう?」と対話的な姿勢を持つことである。
1ページ目は「自分主語で話そう」ということ、2ページ目は、1ページ目を実行しようとして失敗しがちな点「1人で先走らない」ということを取り上げた。
このトップダウンとボトムアップの塩梅は、早い人でも3〜5年かかるほど難しい。これがマネージャーにとっては登竜門になっている。
この難問を突破する前は、どちらかというと「プレイングマネージャー」的な関わりをしているのではないだろうか?部下が1人だと、綿密にコミュニケーションできていたのが、人数が増えてくると1人にかけられる時間の量が減ってくる。だからこそ自分が出張らなくても、人を介してマネージメントするという姿勢が求められるようになってくる。
フラットを志向しすぎることで、マネージャーが持つべき責任まで渡してしまうと、相手にとって「それは重すぎる」となってしまう。追求すべきは、「階層ごとの責任はロールとして明確にしつつ、文化はフラット」という状態。
この責任の範囲について意思決定をすること、がまさに組織デザインであり、マネージャーの仕事。それを自分主語で語り、HOWはみんなで考えるというのが1ページ目から言ってきたことだ。
CULTIBASE Radioおなじみ、「マネジメントの教科書に書いておいてほしいこと」シリーズ。今回は「対話の教科書の1ページ目」を考えたい。
対話は、その重要性は合意されていても、実際にやるとなるとうまくいくイメージはつかない、ということが多い。そもそも、組織によってはコミュニケーションを取る機会が全くないこともある。
「対話的な機会を作ろうとしているけど、なんかうまくいかない」という場合の問題点として、「相手への根本的な関心がない」というものがあったりする。あいづちや質問など表層的なリアクションはしても、あまり相手の話をそもそも聞きたいと思っていない。
企業によって、「自分自身のことをどの程度“発露”させていればいいのか」という程度は違うが、対話をするにあたっては「相手の、今は見えていない部分への関心と想像をもつこと」が重要となる。これが、対話の教科書の1ページ目となるのではないか。
ミナベがコンサルとして入っている組織でも、それができていないと感じたらすぐに目の前でアジェンダを棄却し、「今あなたが話したいのはなんですか?」という問いを投げかけるという。対話は、まず相手に興味をもつことが肝要だ。
1on1には、決して欠かせない大前提がある。それは「1on1は機会提供の場である」という認識だ。うまくいっていないケースの大半は、この認識がないことに起因している。
以前のCULTIBASE Radioでも話題にあげたように人の発達は長いサイクルのなかで少しずつ進んでいくものだが、そのなかで、1on1は発達のリズムづくりの役割を果たす。1on1を通じて、[小さなゴールの達成→リフレクション→次のゴールの設定→・・・]という発達サイクルが回っていくのだ。
1on1で陥りがちなバッドパターンは①進捗管理に終始してしまう場合と、②話すことが特にない場合の2つに大別される。1on1も、ワークショップやイベントと同様にどういう機会提供・話題提供をすればいいかを考え、事前にプログラムを設計することが重要なのだ。
それでは、1on1の場では実際にどのようなコミュニケーションを取ればいいのだろうか?ミナベによると、1on1のプログラムは大抵4つのモジュールで構成されるという。
(1) アイスブレイク:話やすい心理的安全性をつくる。
(2) 傾聴:様々なコミュニケーションモードを使い分けることで、困っていることや本音を真摯に引き出しながら、課題の言語化や課題解決への手助けをする。
(3) マネージャーが話したいことを話す:例えば「今後、チームではこういうことをしたいんだけど、どう思う?」など、チームのことについて一緒に問い直したりHOWを考えたりすることで、目線がすり合わせられる。
(4) システム思考で対処法を考え、NA(ネクストアクション)に落とし込む
そのほかにも、1on1を用いて個々人のツボを押すことでチーム全体のマネジメントができるような方法論もある。クオリティーの高い1on1ができることは、マネージャーにとって重要な武器となるのだ。
組織においては「暗黙知をいかに形式知に転換していくか」ということが重要だが、それはただ社内Wikiを作ればいいというものでもない。なぜなら、「なんかモヤモヤする」程度の個人の感覚も暗黙知であるからだ。このような「社内Wikiを作ること」の一歩手前の段階にある暗黙知を形式知に転換していくには、コミュニケーションが重要となる。
その機会が1on1
2つのことが重要となる。1つは、大前提として相手のなかに暗黙知が蓄積されていて「モヤモヤ」した状態にあること。もう1つは、上司→部下のティーチングに閉じないことだ。
また、「暗黙知を形式知化する際の問いかけも重要だ」と安斎は言う。「仕事するときに気をつけてるポイントってなんですか?」と聞くと教科書に書かれているようなことしか出てこないが、「これまでやったことのなかで、意外と上手くいったことってありますか?」などと、非対称な比較対象を暗に設定して問いかけると有意義な内容が引き出せるのだという。
「覚醒とは一体何で、どう引き起こせるのか」ということを確認してきた。一方で、覚醒は、頻繁には起こせないし、頻繁に起こすことを目的にすべきものでもない。実際のところ、「覚醒」はどのような頻度で起きるものだと思っていればいいのだろうか?
以前取り上げた「SECIモデル」や「アジャイル型開発」を考えると気づくのが、いずれも個々人が暗黙知を貯めることがスタート地点となっているということだ。そして、ミナベ曰く「経験上、暗黙知は3ヶ月くらいで形成される」という。
アジャイルでは、1サイクルを1~2週間で回していくが、毎サイクルで「目的から考え直してみよう」と前提を壊そうとする必要はない。むしろ、個々人が目の前の技術を数%向上させようとする「シングルループ学習」があってこそ、「ダブルループ学習」の循環が生まれる。目の前のHOWを地道に磨きつつ、一方でそれだけに閉じないことが重要なのだ。
覚醒には、ふつう3〜5年、長い人では10年程度かかるものだ。育成を担当する人もそれを理解し、中長期視点で環境を用意したり機会提供を行う必要がある。この視点がないと「ひたすら崖から落とす」だけの人材育成になってしまいかねないからだ。
まれに、同時にダブルループ学習を行うことができ、毎日のように大きく変化する人がいるが、そのような人の割合は非常に小さい。ほとんどの人は、ダブルループ学習の2つのサイクルをキャリアを通して交互に行う。組織の仕組みは、後者のような人にフォーカスを当て、3~5年で覚醒するような設計であるほうが望ましいと言える。
「人材が覚醒するとはどういうことか」ということについて話した前回。それは、スキル面においては習得している技術や知識が結びついたり使うべきタイミングを理解したりすること、マインドセット面においては不確実な状況を乗り越えることによる自信が生まれることであった。そして今回のトピックは、それでは「覚醒」はどのように起こせるのだろうか、ということである。
40歳前後の方で「最近の若者は育たない…」と悩んでいるマネージャーは多い。そういう方は、後者の過酷な状況を生き延びた成功体験を持っていることがよくあるのだが、実はその覚醒方法は効率が悪いだけではなく、9割が潰れてしまう育て方。マネジメントは「過酷な状況にぶっこむか/ぶっこまないか」だけではないのだ。
とはいえ、「この人にはストレッチをかけてもいいかも」「この人は今挑戦させすぎると折れちゃうかも」という判断は必要。マネージャーは、具体的にどうすればいいのだろうか?
大切なポイントは2つだ。まず第一に、過酷な状況の先にしっかりと「宝」、つまり成長の源泉になるいい経験があるように設計しておくこと。もう1つは知識のインプットだけではなく、さまざまな繋がりが生まれるような「機会提供」をすることだ。「この人はこれまでにどれくらいの非連続を繋げたことがあるのか」ということを考えながら、事前の設計、過程のサポートをすることが重要となる。
例を挙げて考えてみる。マーケティングでリード数(お問い合わせ数)を増やす担当の人がいるとする。売上向上の観点では、実はリード獲得においては「量」だけではなく、その次のスセールス担当者にとって、いかに営業に繋げやすいリードかという「質」も重要なのだが、それに気づくことは難しい。
このような状況では、例えば営業担当者と「質の良いリードとは何か」ということについて対話と議論をさせてみると、結果的に発揮する技量は同じでも「良さ」の基準が変化し、見ているものが変わってくることになるだろう。これが、「覚醒」である。
このような「覚醒」を大量にかつ同時多発的に引き起こすのが、実は「アジャイル」だ。各個人が閉じたまま1つのHOWを研ぎ澄ましていくシングルループではなく、実践の経験を持ち寄ってWHY(≒「良さ」の基準)をみんなでブラッシュアップしていくダブルループ学習が生まれることがそれぞれの「覚醒」につながる。
通常、人は階段を登るように学習/成長していくもの。一方で、誰かがふとしたことがきっかけでまるで「覚醒」したかのように色々なことができるようになる、という光景を目にしたことはないだろうか?。このような「覚醒」とは一体どういうことで、どうすれば引き起こせるのだろうか?
「覚醒が起きるとは、リフレームが起きるということ」とミナベは言う。“覚醒”した人がよく発する言葉に「わかってたつもりになっていた」というものがあるが、これは、知っていただけの知識が使えるようになること、使いどころが分かることを表していると考えられる。スキルのレベルではなく、使い方や使うタイミングが重要なのだ。
また、スキルだけではなくマインドセットが大きく変化するパターンもある。企業における仕事では、関わる人数によってやり方が大きく変わる。そのとき受けるストレスも変わるのだが、それに対して「こうすればストレスを緩和できるのか」と気づくことが「覚醒」にあたる。
「覚醒」する人は、メタ学習をしており、その結果として「次同じようなことがあっても、なんとかできる」というスキルと自信が生まれるのだろう。
次回は、そういう「覚醒」の一歩手前にいる人に対して、周囲の人たちがどう背中を押してあげられるか、ということを考えたい。