岡﨑ひなた展「空蝉ミ種子万里ヲ見タ。」展覧会レビュー|天野太郎(キュレーター)
2023.6.21 水
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再会の旅
岡﨑の略歴を見ると、2019年に第26回全国⾼等学校写真選⼿権⼤会優勝、2021年と2022年には「T3 Student Project」ファイナリスト、2022年 Les Rencontres dʼArles アルル国際写真祭と同時開催イベントARTAOTA ARLESでの個展、そして今回の2022年第25回写真「1_WALL」グランプリという具合に、ここ3、4年の短期間にキャリアアップしていることが分かる。実際の展示においても、見るものの目を逸らさない強靭なイメージが印象的であった。そうした印象を与えるのにはどういった理由があるのか、限られた紙面であるが探ってみたい。
まずは、岡﨑の個展の写真作品について、一つは、その展示の構成について、今一つは、個々の作品が何を伝えようとしているのかという点について触れてみたい。
今回の展示は、最初に岡﨑のステートメントなどが示され、その後に、壁面に作品だけが展示されている。テキスト(別途会場に用意されている)は壁面には不要とし、あくまでもイメージに集中するような展示方法となっている。作品は、アイレベルが145cmで統一され、イメージの大きさは、同一ではなく、A0(841mm☓1189mm)サイズが3点、A1(594×841mm)サイズが3点、A2(420×594mm)サイズが5点、A3(297×420mm)サイズが19点、A4(210×297mm)サイズが4点、全作品横長のレイアウトになっている。一定のアイレベルに従った展示には、情緒的な印象はなく、むしろサイズこそ違え、一つ一つのイメージを自立した存在として提示しているように見える。また、プリントサイズについてだが、例えば、同じビジュアル・イメージである絵画の場合は、描く対象に合わせて最初にサイズが決められるのに対し、写真、この場合、岡﨑の写真は、撮影し、その後、展示されるスペースも念頭に入れつつ、それぞれのモチーフに合わせてサイズが決定されている。一方で、同じサイズのプリントで展示する場合は、撮り手は、それぞれのイメージの意味を均質にしたい場合が多いが、岡﨑のサイズの異なるイメージは、大小のヒエラルキーではなく、自身と対象との心理的な距離感に依拠していると思われる。
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ところで、展覧会のタイトルである「空蝉ミ種⼦万⾥ヲ⾒タ。(ウツセミミシュシバンリヲミタ)」について岡﨑自身はインタビュー( 岡﨑ひなた 写真家|インタビュー ) で、「空蝉っていうのは、大和言葉で、セミの抜け殻を見て、虚しいとか、儚いとか思う様で、その日本人のわびさびの精神だと思います。種子は、始まりと終わりの意味があって、花が咲いて、そこから種が落ち、そのサイクルみたいなのを、ここに生きている人たちにも感じていて。空蝉っていうのは、意味としては、今生きている人の魂とかそういう意味で。その魂が、万里、はるか遠くの方の未来とか過去とかを見るっていうタイトルです。」、また、展覧会へのステートメントでは、「今もまさに世界中で⼀過性を含む事象が起こり続けている。その時々に私は神様の気配を感じ、写真というツールを⽤いてそれらに触れる。現在、変化する不変をテーマに、⾃⾝の故郷である和歌⼭県の過疎地域にフォーカスをあて、制作を⾏っている。潮と緑の⾹りは在るべき形と在って欲しい形を⾵に乗せ私の所に連れてくる。⼟地から命を貰いそれらを分け合い資本にも変換する、この複合的な営み。獣、植物、⼈、⿂、海、⼭……万物は何を⾒て何処に⾏くのか。時代性を踏まえ形を変えなければ淘汰される現状と守らなければいけない在り⽅。この様に今⼤切なものが少しずつ変容し姿を変えつつある。変化と普遍の狭間から、私はイメージと事実を写真を⽤い声明する。」と述べている。自身のプロフィールによれば、岡﨑は和歌山県田辺市の出身である。すでに高校の時(2018-21)から写真撮影を始めており、その後、本格的に写真を学ぶために一度この地を離れ、改めて撮影のために再訪している。見慣れた風景に改めて出会ったときに、その時間の隔たりを飛び越えて当時の記憶が蘇ることがある。当時の風景と今眼にしている風景は厳密に言えば同じではないのだが、風景そのものというよりはそこに居た事態、そしてそれに伴う記憶が今に蘇るのと同時に、新たな気付きもそこに加わる。実際の展示は、高校時代の作品と、その後、故郷を離れ再訪した時に撮影された作品で構成されている。その意味で、ここで示されたイメージは、岡﨑にとって「出会い」ではなく「再会」の賜物と言うべきだろうし、知っているはずの風景を、見つめ直すことで事後的に得る更なる発見が含まれている。そして、「再会」を時系列で示さなかったのは、撮影したイメージを見つめ直し、発見したその時間を優先したかったためと思われ、岡﨑の展示が時系列ではない理由がここに隠されているのではないだろうか。 ところで、岡﨑作品を理解するには、その出身地である和歌山県田辺市について触れる必要があるだろう。それは、岡﨑がまさに故郷の風景をモチーフにしているからだが、とは言え、その地域性を殊更強調するものではないのは、あくまでも岡﨑と故郷との関係が集約されるからだ。一方、和歌山県全体に言えることだが、地理的に全体の面積の8割を山地が占めることでも分かるように、その文化は山に伴う側面が強いのが特徴的だろう。無論、日本の文化全体が、山の文化―山岳信仰をはじめ、木材、塩、鉄、漆といった生活の必需品までーからその基層を成しているのだが、とりわけ和歌山の山の民、山の文化、あるいは熊野水軍などに象徴される海の文化の歴史的な文脈も特徴的だろう。流鏑馬などの伝統行事に纏わるモチーフの他に、こうしたこの地で醸成されてきた歴史的記憶が視覚領域の背後に存在しているのを、岡﨑の写真からは、強く感じることが出来る。そして、生を受けてから岡﨑はこうした風景を日常のものとし、それは、まさに恩寵と言うべきものとして岡﨑の中に宿ったのだろう。そうした存在との再会、再発見がまさに今回の岡﨑の作品の底流に流れている。
2022年より東京オペラシティギャラリー チーフ・キュレーター。
北海道立近代美術館勤務を経て、1987年の開設準備室より27年あまりの長きにわたり横浜美術館に勤務し、「ニューヨーク・ニューアート チェース マンハッタン銀行コレクション展」(1989)、「森村泰昌展 美に至る病 ―女優になった私」(1996)、「奈良美智展 I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」(2001)、「ノンセクト・ラディカル 現代の写真 III」(2004)、「アイドル!」(06年)など、同館の数多くの展覧会の企画に参画。その間「横浜トリエンナーレ」のキュレーター(2005)、キュレトリアル・ヘッド(2011,2014)、札幌国際芸術祭2020統括ディレクター(2018-2021)を務めるほか、昭和女子大学、城西国際大学などで後進の指導にあたるなど、豊富な経験と実績で知られている。
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