結城メルマガYMM371の感想
パラレリズム(対句法)
「内容的に対比させるものを形式的にも対比させる」文章の技法
読者に内容を容易に予測させるためのものともいえます
"韻を踏まずに詩を書くなんて、ネットなしでテニスをするようなもの" ロバート・フロスト
言葉の歌化
その他の技法(修辞法)
エピストロフィ(結句反復)
オバマのYes,we can など
アナフォラ(首句反復)
ウィンストン・チャーチルの「We shall fight on the beaches,we shall fight on the landing grounds,we shall fight in the fields」 など
トリコーロン(短い文の中で三つの語を繰り返す)
エイブラハム・リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」
エピジュークシス(畳語法)
同じ語を何度も何度も繰り返すこと。
ナンシー・ペロシの「この法律が意味する4つの言葉を覚えておいてください。仕事、仕事、仕事、そして仕事です」
ディアコープ(他の言葉を間に挟んで繰り返される言葉)
フランクリン・D・ルーズベルトの「我々が恐れなければならないのは、恐れることそのものだ」
AーBーA
サラ・ペイリンの「ドリン・ベイビー・ドリル(どんどん掘れ!)」
アンチテーゼ(対立する概念を並べる)
チャールズ・ディケンズの「それは一番いい時代だった。そして一番悪い時代でもあった」
アンチメタボレー(倒置反復法)
「It's not the size of the dog in the fight; It's the size of the fight in the dog.」
(犬の喧嘩において大事なのは犬の大きさではない。犬の闘争心の大きさである)
AB:BAのパターン
"境遇が人間を作るのではない。人間が境遇を作るのだ。" ベンジャミン・ディズレーリ
似たパターンの警句・スピーチは非常に多く、印象にも残っている。
"国家が自分のために何をしてくれるのかと問うのではなく、自分が国家のために何ができるかを問いかけよう"
『夜と霧』にもあったはず。
創造性は万人にあるか
どんな人でも0から1を作り出す創造性はあると思いますか。
もちろん、ある。ただし、表れ方に強弱はある。
身につけた経験や性質がその表れ方に影響してくると思われる。
自分の思考を知る
ところで、あなたの質問を読んでいると、本当に知りたいのは「どんな人でも創造性はあるのか」ではなくて「私にも創造性はあるのか」なのじゃないかな、と感じられました。
もしもそうだとしたら、「創造性」のような一般化した概念で考えるのではなく、もっと特化した概念で考えた方がいいですよ。
そのようにどんどん特化、具体化して考えるのです。
そうすると「創造性の有無」といった大味な思考から「技法の習得」や「技術の向上」へ近づいていけます。
自分が何を考えているのか(どんな答えを欲しているのか)について、考えるということ。
非常に大切なこと
才能に目を向けている間は、読者からは目が離れている
結局のところ、「自分の才能」に目を向けたとたん、「自分の作品」からは目が離れているのです。
宣言の効能
すごく小さなレベルで申し訳ないですが、私は毎日仕事前に「そろそろ仕事を始めよう」とツイートします。それはだらだらとTwitterしないためです。今日のお仕事という一歩を進めるために「仕事を始める」ことを公言しているのですね。そうすると気持ちの上でサボりにくくなります。
ときどき「目標を決めるなんて意味がない」という発言を見かけるが、それでも俯瞰してみれば、こうした行為によって、仕事がいくぶんでも進む現象があることは間違いない。それが意味がないと言えるのかどうか。
すべてをボトムアップ的(そのときにやりたいと思ったことに身を任せ続けること)に進めていくことが、本当に良いことと言えるのかどうか。
わずかでも指針を持つことは、自己欺瞞にあたるのか。
昨日決めた指針について、今日の自分があまり乗り気にならないとき、その指針に合わせるような行為は、「不自然」なのだろうか。
それが過度になれば苦しくなるのは間違いないとして、微量の指針までもが否定されるのか。
自分を変えるには
一つは生活の見直し。具体的には、夜早く眠ること。早起きして散歩するなどして身体を動かすこと。ご飯をしっかり食べること。人と定期的に会ってしょうもないことでもいいから何か話すこと。とても大事なのは睡眠です。
二つ目は発想の見直し。具体的には、自分がいつもやってるのと違うことをする。自分が無駄だとわかってることであっても、わかった上であえてやる。逆に、自分がこれは絶対やらなくてはと思うことでもやめてみる。発想の見直しを必ず行動に結びつけるのがコツです。
三つ目は時間への信頼。人生長いのでいろんなことがあります。雨の日もあれば晴れの日もある。人生は山有り谷有りです。うまく動けないときにも実は意味があるかも。身をかがめて嵐が過ぎるのを待つのも一つの手。