物理的なカードをくるときに生じていること
複数のカードを連続的に短期記憶に収納している
カテゴリの異なるカードを並べて短期記憶に収納している
→脳の短期記憶にその内容を格納し、それを素材に新しい考えを生み出そうとしている
(以下別トピックの話)
Cosenseにおいては、
ページの本文を書き、文中でリンクを使うか、添付でリンクを添えるかした後、「関連するページ」を眺める。そして、それらのページと、今書いているページを短期記憶に収納する。そして考える。
重要なのは、関連ページを「見る」こと。第一水準ではそのタイトルを、第二水準ではその中身を見る
だからこそ、関連ページが多いことが嬉しいことには直接つながらない。「見る」気になる程度でないといけない。
たとえば ランダムノートはなぜランダムなのかは明らかにリンクが多すぎる(リンクにしている言葉の粒度が大きいからだろう)
https://gyazo.com/d93ef154f52c9b6698b4d6175cd8604d
ただしこれは最初から小さくすることはできない(確認したら5年前に作ったページだった)。
今読み返したら、「人の思考はランダム」がリンクになっていた方がよさそうだろうと感じる。
そもそもページのタイトルがおかしい(クリックしたくはなるが、内容とあっていない)
だからこそ、タイトルが全体の要約になっていないといけない。そのタイトルを見たときにその内容が短期記憶に収納できるものでないと常に第二水準の「見る」が必要とされる。
この効果は、一定量カードがたまらないと発揮されない。
ex.物理的なカードをくるときに生じていることを書いた後読み返したときに、短期記憶をリンクにした。そうしたら、ダンパー数とマジカルナンバーというカードが目に入った。人間の短期記憶の上限と親しく慣れる人間の上限に関係があるのではないか、という内容だったと思う(第一水準の「見る」)。で、短期記憶に上限があるということを考えたときに、関連ページが表示される数が多ければよいというわけではない、点はそこからも補強できるのではないか、と思いついた。むしろ適切な数があるのかもしれない。と、二つのカードを「見ながら」新しい考えが生まれたということだ。
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infoboxとカードをくること
from 2025/5/6