個別のカードをどう位置づけるかについての考察
位置づけ方のバリエーション
時系列に置く
親子関係に置く
兄弟関係に置く
前後に並べる
前後・上下を持たないなら、位置づけたことにはならない、と考えてみる
たとえば、日ごとノートをその月の月ごとノートに位置づけたとしてそれはどの程度の強度があるだろうか
というか「位置づけた」と言えるのか
だってもともと両者には対応関係があったわけだから(あらためて何か知的作業をしたことにはならない)
たとえば「複数ページを開く」というページを切り出したことで、いつでもその概念をブラケットから呼び出すことができるようになった。またページの内容を探したいときも、「複数 ページ」あたりを入力すれば検索ボックスからすぐに見つけられる。関連ノートから探すこともできる。これが第一水準のリンクでの整理。
今考えているのは、このページをどこかに「位置づける」こと。ネットワークの中に入れるのではなく、ある階層構造に取り込むこと。あるいは、インデックスに登録すること。これが第二水準のリンクでの整理。
「複数ページを開く」は、最近のCosenseの運用の話であり、また日ごとノートの使い方の話でもある。前者がやや包括的で、後者はやや具体的。で、「デジタルツールの運用」の話としても位置づけられる。これはさらに包括的になる。
以上すべての要素を「タグ付け」できるが、Evernoteのようなタグだとそれぞれの抽象の高低が見えてこない。
Evernoteはタグを構造化できるが、単一のタグの子にしか位置づけられない
デジタルツールの運用
Cosenseの運用
日ごとノートの使い方
このように作ったら、「日ごとノートの使い方」はObsidianの運用タグの下には入れられない
あくまで包括的なレベルが違うのであって、実際は上記のような構造に置かれているわけではない。
置いてもいいが、別の場所にもおける必要がある。
「複数ページを開く」を起点にして考えたとき(これが一番具体的なレベルだとしたとき)、それが「Cosenseの運用」に位置づけられており、その「Cosenseの運用」が「デジタルツールの運用」に位置づけられていることが把握されているならば、とりあえずそれでよいと言えるか。つまり、「複数ページを開く」と「デジタルツールの運用」を直接関係付けなくてもよいかどうか。
今暫定的に三つの階層を提示したが、「デジタルツールの運用」はさらに内側に「デジタル情報整理ツールの運用」という項目を持つ。ややこしいことに、その兄弟的位置に「アナログ情報整理ツールの運用」があり、その両者を含む親項目に「情報整理の考え方」がある。
実にややこしい。
このややこしさの中で、情報を「位置づける」とはどういうことなのか。どういう運用ならば、手間と効果がつり合うのかを考えようとしている。
今思い浮かんだすべての関係を逐一記述していくことが望ましいのだろうか
マップツールを使って、円でグループを囲めば、複数の集合と重なる要素を表現することはできる。
しかし、集合のレベル(抽象度)が3階層以上もある場合はどうなるか。そもそも、そうした階層を適切に整理することは可能か(言い換えれば、最上位概念を綺麗に粒度を揃えて並べることなど可能なのか)
間違えていてもいいから、まず位置づける?
倉下忠憲を作った100のものごとを書いているときも、どんな風にカテゴリを分けようか決めにくかった。「本」というひと括りにするのか、それぞれを分けるのか。同様に「ゲーム」でひと括りにするのかアナログゲーム、デジタルゲームで分けるのかといった問題がさまざまに出現する 僕たちは情報整理の授業を受けずに大人になる
→情報整理の教科書が必要だ
『ほんの1秒もムダなく片づく 情報整理術の教科書』という本があるが、もっと大きい文脈で語る本
どう作っても、失敗ではない。
だとしても、指針は欲しい。
index of Think / index of thought
あるいは本を書く
何かについて考えをまとめるためには本を書くのが有効
プロダクト化、プロダクトナイズド
名づけ→フレーズ→文→文章→本、の階層を想定する
ルーズリーフの研究などはあくまで実践的側面が強いので本はイメージしなくてもよいだろう
結果的にそれについて本を書くことになったとしても
その上で「本」を書くことを意識する?
たとえば、「複数ページを開く」はどこに位置づけられるか?
Cosenseと情報カードの使い方の研究→考えの育て方2
デジタルノートをうまく使う方法→「エッセンシャル・デジタルノーティング」
両方に位置づければいいと言えばいい。
本当にそうか? そんな単純なものか?
位置づけたときに形は変わってくるだろう。つまり、こういう要素について取り上げるという覚え書きとしては機能するが、それは位置づけることと同じではない。
ふむ。
「両方にいちづける」ならば、むしろインデックス的なものの方が適切。
「議論」は、骨子であり、スタイル(文体や語り口)は影響を受けない。CSS抜きのHTML構造のようなもの。そうしたものは、別々の場所で参照されうる。
タグ付けするならば、複数ページを開くは、デジタルノートを使う上でのノウハウ、ということになるだろう。そのリンクを付与することは問題ない。であれば、そのリンクを、それぞれの企画案ノートに結びつけておく?
「デジタルノートを使う上でのノウハウ」は、企画案的な文脈を抜き取ったタグ付けになる。そのタグを、具体的な企画案とリンクさせる。
しかしそれは、アナログノートについて考えるときにも有用だろう。
つまり?
タイトルそのものが最初から包括的すぎるのだ。
「デジタルノートを複数並べて使う」がより限定的なタイトル。で、それは「デジタルノートを使う上でのノウハウ」というタグ付けが適切。その上で、そのカードと、カードやノートを複数並べることについて考察するノートと関連づける。一方で、デジタルではマルチウィンドウに関する論考と紐付けられるだろう。
起点として「Cosenseをどう使っていくのか?」という疑問がある。それに対応するのが「日ごとノートの研究」ということになる。問いを主体にページを作ったほうがよい?
もう少し整理する
「Cosenseをどう使っていくのか?」という疑問があり、そのための思考と試行があって、「複数ページを開く」というアイデア=概念が生成された。それは、他の情報と補強的な関係を持つ(他の人も似たことを言っていたなど)。さらに、違う概念との関係もある(紙ツールは並べやすいのが特徴で、ルーズリーフはその恩恵を得やすいなど)。さらにさらに、その概念が利用される企画案というのも想定できる。
こうした状況を、どのように「整理」するのかが喫緊の課題
「情報を処理する上で、一つのウィンドウだけでなく、複数のウィンドウを並べて表示することで、比較や統合といった知的操作がやりやすくなる」というのが抽象化した記述だろう。
研究からはレポート(論文)が生成される
どんなテーマのレポートになるのかの最終的な結果は、研究のスタート段階ではわからない
そこでは漠然としていていい。一方でレポートはそうではない。
自分の関心事が、「情報整理」という包括的な表現でまとめられると気がついたという発見があった。それをベースに思考のインデックスを記述していく?
個別のカードをどう位置づけるかについての考察へのリンクを押さえておけば、関連して派生した読み終えた本の位置づけを再検討するへのリンクも押さえたことになる。Zettelkastenのインデックスは、そのような最上位のカードだけを参照できれば十分だとする考え方。 「最上位のカードだけを参照する」というのが単にリンクが並んでいるだけでよいならば、ハブとなるカードに、特定のリンクを付与するだけで十分だろう。hub_topicsなど。しかし、それぞれのリンクがどういう位置づけを有しているのかを記述したいならば、具体的なページを作り、その中にリンクと共に文章を記述していくことが必要となる。