「心と思考を整える哲学ラジオ」第二回どうすれば僕らは他者を、この世界を祝福できるのか?
どんな本?
時期によって自分の中でも変化している
今だと「どうすれば、僕らは何かを・誰かを祝福することができるのか?」がテーマだったのかな、と思う。
僕たちはルサンチマン(嫉妬や後悔)に曝されていて、祝福するのが難しい 贈与「見返りを求めずに、何かを与えること」
利他
なぜ贈与や利他が必要か
市場経済の外部に位置づけられるから
僕らは何かを買って生活している(物やサービス)→アウトソーシング
生活していくためにはたくさんのお金が必要
→そろそろそういうのは限界ではないか?
では、それ以外の何かはどういうものか
市場以外の経済的活動
祝福は、利他的行動や贈与の最たるもの
「祈り」も近しいrashita.icon
サービスとしての「祝福」はまずない
「僕らはどうすれば他者を呪うことなく祝福できるのか」
rashita.icon祝福することが呪いの回避となるのか、それとも呪いを回避した結果として祝福が可能になるのか
祝福と呪い
呪いの反対が祝福
「相手の思考と行為の稼働域に制約をかけるのではなく、むしろ広げるもの総称」
「おめでとう」という場面
門出の文脈→主体の可能性が拡大した場面/ある主体から別の主体になる文脈
親子関係では呪いが生まれやすい
贈与の力学があるから
「贈与であるがゆえに」(贈与であることが明示され、強調されてしまうがゆえに)、相手の可能性を制約してしまう、ということ。
rashita.icon可能性の増大、という点でいうと優れた批評とはまさにそのようなものであろう。
それまでの評価軸では評価されてこなかったポイントを掘り起こす、という活等であるので。
個人間の話ではなく、私が世界を祝福するためにはどうすればいいのか、という話が本の後半で展開される
本の序盤は以下で読める
統合することの難しさ
贈与も定義が難しい
贈与の手触りや贈与の風景を本で示した
アンソロジー(古代ギリシャ語、花集めが語源)
分けてしまったもの、深めてしまったものをバラバラの場所に咲いている花だと捉える。
そこから花束みたいなものを言葉で作るとよいのではないか