2025/6/8
プロジェクトの進め方などを検討したいと考えている。
問いについて
『問いの技法』という本は面白そうだった
DENは、不動産業界で「趣味を楽しむ小部屋」「書斎」を示す際に用いられることが多い言葉です。DENの広さや形、仕様に明確な基準はありません。そのため、DENは状況や間取りによって千差万別、ともいえます。
部屋でもリビングでもキッチンでもないスペースが、DENといえるでしょう。 奈良健康ランドには漫画が1万冊あるらしい
Kindleのセールで『レシピ以前の料理練習帳 ネットレシピでうまく作れない、を解決! (講談社のお料理BOOK) 』という本を見かけた。
中身は見ていないがコンセプトはとてもよいと思う。
仕事術や情報整理術でも、こういう「ノウハウ以前の〜〜練習帳」みたいなものが必要だと思う。
というわけで、本も買った。
信用がベースになっているシステムは、悪意に対しての脆弱性を持つ
米AppleでMacintoshのGUIの根幹を築き、HyperCardなどの革新的なソフトウェアを世に送り出した伝説的エンジニア、ビル・アトキンソン氏が6月5日(現地時間)、膵臓がんのため自宅で逝去した。74歳だった。同氏の家族がFacebookで告知した。
めちゃくちゃ遅いので注意
infoboxのナッジを意識する
https://gyazo.com/33f2914531408d57d073063fe6cd3969
「重要」というのが何を意味しているのかがわからなかった。
くろぼしの記号の行を抜き出すと自分で設定していたのだが、それを忘れていた。
infoboxのナッジ(うながし、でいいか)がうまく活用できていない
見出しにくろぼしをつけておいた。これで思い出しやすくなるはず。
HyperCardのhome画面に触発されて、Textboxで「プロジェクト曼荼羅」を少し作ってみた
https://gyazo.com/ec4137c4307cd1c34f95ea4f020acc07
なんというか、こういう表現力は標準のObsidianにはない。
やはりTextboxに注力していこう。
『旅コンテンツ完全セレクション 和の美が心を洗う 日本庭園』という本の目次ページの一部
https://gyazo.com/0ee09f6fbeb8df54b64be2e59eb0e5dc
こういうトップページをTextboxで採用してみるのはどうか?
トップページの代わりに、プロジェクトページでやってみた
https://gyazo.com/4889901330d94dd110a290d664660ed6
悪くない。
僕たちは、ぜんぜんデジタルツールを使えていない(パーソナル・コンピューティングできていない)
Zettelkastenではメモにタイトルを書かず、個別のIDを番号とアルファベットでふる。で、すぐにメモの内容を書いていく。
以下のサイトでルーマンの実際のカードが閲覧できるが一行目のナンバリングのあとにタイトルを書いているように見える。
実際、左のサイドバーではカードのタイトルが並んでいるように見える
ちなみに、画像を見てもぜんぜん内容がわからないので、Geminiくんに頼んでみた
以下のようなことが書かれているらしい
21/305 パーソンズのシステム理論について 1
パーソンズは機能の概念に依拠している。それは、支配的な理論をそこから導き出す限りにおいて、システムにおける「要素」の貢献に基づくものである。3 彼の理論の特異性、そしてその問題は、あらゆる行動システムにおける機能的ニーズの充足を、単一の行動理論からすべて導き出すことができるという点にある。この導出は、システム・スキームがまず純粋に直感的に得られるという結果を招き、応用を考慮せず、機能的整合性を実現するための現実的な可能性も考慮しない。それゆえ、あらゆる経験的および機能的分析にとって優位性はなく、むしろ必要最小限の要求という点で貢献する。
vs. ゴデリウスの批判 1959年 244頁以降より。パーソンズ
注記:Hの点において部分Aは理解される。
個人的に思うのは、避けていたというか、タイトルがあるかどうかはさほど重要ではなかった、ということではないか。
とあるカードの日本語訳
21/305b 16 システム/サブシステムの考え方は、機能の概念と同様に、パーソンズを階層的な秩序の思考に巻き込んでいる。機能は上位システムのためのサブシステムにのみ存在し、その逆ではない。ジョンソン S. 21/3d 参照。
これに関連して、上位システムが「境界」としてより多くのコントロールを定義するという考え方が存在する。パーソンズは明らかに、階層的秩序を、特に役割、集団、規範/価値観の集合体、およびより深いレベルの全体システムにおけるサブシステムの機能的側面の集合体として理解しており、一般的なパワー・問題パラダイムも同様である。
21/3a 3b b2a1 も参照
21/3d 19 1
この場合、本文の「システム/サブシステムの考え方は、機能の概念と同様に、パーソンズを階層的な秩序の思考に巻き込んでいる。機能は上位システムのためのサブシステムにのみ存在し、その逆ではない。」がテーゼであり、すなわちタイトルの役割を果たしている。
Evernoteでも、本文の一行目がタイトルになる機能があるが、パラグラフライティング的に書かれたカードは一文目がテーゼであり、そのままタイトルになる。こういうカードに対して、別のタイトルを与えるのはわざわざ感があるとは思う。
特にZK2では命題的なカードが多かったらしいので、こういうカードもそれなりにたくさんあるだろうと思う。
こういうのを「タイトルがいらない」と表現することもできるが、個人的には本文の一行目がタイトル的、表現したいところ。
あるいは、「タイトルをつけることを避ける」というのは指針としていまいち機能しない感じがする。
カードを書くときに、タイトルをつけないようにしよう、と思って書くのはあまり自然とは思えない。
つけられなくても気にしないでいい、というならば指針としては役立つと思う。
ようはタイトルのつけ方が問題なのだ。文脈を固定するようなタイトルのつけ方は、派生的な議論を阻害してしまう、ということはある。そういうタイトルをつけることを避けていた、というならば納得できる。
脱文脈的に書く、それはタイトルにおいても適用される、という感じ。
『考えの育て方』でも書いたが、カードのタイトルに「羊たちの沈黙」は相応しくない。
「内容を固定的に定義する」というのは具体的に何を意味しているのか。だって、内容はもう書かれて「固定」されているのだから。これは文脈的に単一の用途に限定してしまうということだろう。
一つ、ポイントを上げるとしたら「一つのことを書く」をそこまで意識しなくてもいいという点はある。でもって、それはごく当然で、テーゼをまとめていくならば、そこに補佐的な話題が混じることも十分にありえる。
実際上のカードでは、「これに関連して」と話題を広げている。全体としてパーソンズという人がシステム・サブシステムをどう論じていたのか、についての整理になっているが、話題は二種類あるように思える。「組み合わせ」を増やすならば、それぞれを別のカードに切り分けたほうがいいが、この時代ではそれは簡単ではなかっただろう。
もう一つ言えるのが、上記のカード一つとってもみてもわかるが、他の文献的なカード群とは違い、これらは「ルーマンwiki」ではぜんぜんない、ということ。まさに、思考の著述が積み重ねられている。
まあ、個人的にはどちらでも構わない。
間違いなく、知的生産の能力を磨いていくうえで、「脱文脈的にタイトルを書く」というのは有用な訓練になるから、自分が方法を提案するならば、タイトルをつけましょうときっと言うだろう。
番号だけに効能はあるのか
https://gyazo.com/7e46b97b143bd9605257b9180791eca3
https://gyazo.com/a1bb65d30fa8ae22f76aed48f09e0762
どのカードを見ても数字だけが書いてあるものはなく、「この話題であれば、この番号を見よ」とテキストがついている。
で、たとえば、
話題X: 13,50 23c5p
というような記述があるとする。ここでは個々のタイトルは書いていない(書いていたら紙面がいくらあっても足りない)
そのことの意味や是非を考えたい。
タイトルがあろうが本文の一行目がタイトル的であろうが、指示してある番号のカードを引っ張り出せばそこに書いてある。だから、参照のためのカードでは番号さえあればいい、というのは一つ言える。では、番号だけの方がいい、と言えるだろうか。
つまり紙面スペースの問題で番号しか書いていないのか、番号だけが書いてあることにプラスアルファの価値があるのかどうか。
もしそこにプラスアルファの価値があるならば、タイトル部を番号だけに限った方がいい。しかし、そうではないならば、一行目をタイトルとして扱えばいい。
まっさきに考えつくのは、記述が短くてすむことで、短いスペースに情報を詰められる。デジタルであっても、1スクロール内に書ける量は限られているので、短く済むのはありがたい。また、仮に長いテーゼがタイトルだった場合、それだけで1行以上使ってしまう可能性がある。逆に言えば、番号だけであればどれだけ長いテーゼを一行目に書いても気にしなくていい、というメリットはある。
また、番号しかつけないでおくと、上のブロックの検討でも出てきたが、話題を一つに絞り込まなくても済む。一つのカードに二つの話題が混ざっていても気にならない(おかしくは感じない)。
話題X→54を参照せよ
話題Y→54を参照せよ
仮にXで54の上の部分を、Yで下の部分を名指していてもおかしいところはまったくない。しかしこれは、それぞれが違うカードであっても特に問題はない。ルーマン=紙時代は収納スペースの問題もあるので、1枚のカードで済ませていたかもしれないが、現代ではそれを分けても構わない(富豪的カード法)
ということは、番号だけを与えることの現代的なメリットは、
文字数の節約
曖昧なものをセットで置いておける
ということになるだろう。特に後者は、この日ごとノートでも実践していることだ(日付、という番号だけがタイトルになっている)
ルーマンの紙時代ではタイトルを書き換えたくなっても手間的にかなわなかったので、参照には番号だけを書くのは合理的だった。で、現代でも同じことが言えるのかが、今考えたいところ。
二つの方策
番号だけ
番号とタイトル(あるいは一行目をタイトル代わりに)
のうち後者はいろいろ検討してきたので、前者に何か有用性があるのかを探っている。
文脈を限定するようなタイトルは望ましくないとした上で、番号だけの方式にするのかどうか。
あるいは番号だけのものがあり、番号+タイトルのものがあるという併用式でいくのか
一つの問題は、アナログの紙は「箱の中」に存在するが、デジタルで数万を越える数になると「一つひとつ手でくる」というのは現実的ではなくなる。そうなると、インデックスが重要なのだが、インデックスを作るときにも結局そのカードを見つけなくてはならない。
CosenseあるいはObsidianの検索サジェストにおいて「54」という番号だけが表示されても、探しているのがそれなのかどうかは判断できない。ということは、ルーマンがおそらくやっていただろうように、この番号が記載されているインデックス用のページに移動し、54の前後のカードを確認し、目的のものを見つける、というステップを踏む必要がある。
あるは、ひとまず54でリンクを作り、そのページを開いて、前後のページを移動しながら探すことになる。そして、もともとのページに戻り、リンクを書く、ということをやる必要がある。
このことは「思い出した言葉で対象のカードをひっぱってこれる」というCosenseの力をかなり弱めてしまうだろう。一方で、そうしてカードにリンクを付与するためには、かならず前後のカードやインデックスのカードを参照することになる、という想起のメリットもある。
これは何に重心を置くかで判断が異なってくるだろう。
雑に運用するなら、タイトルをつけられるものはつけて、そうでないものは一行目をタイトルにするか番号だけ、という方針になるだろう。実際ルーマンはそういう感じでやっていた。しかし、そうするとデジタルルールでは「検索」についてやり方が変わってくる。番号だけでサジェストを活用するのはそうとう難しい。もうこの段階で、デジタルツールでZettelkastenを運用するというのがそう簡単な話題ではないことがわかる。
と、いろいろ考えてきたが、私は別に番号システムをこのCosenseで採用するつもりはない
採用するならば別のプロジェクト(専用プロジェクト)にするか、WorkFlowyでの運用になる
現状私は、テーゼ風のページを作ったら、かならず「倉下忠憲の事語り」のページに移動して、そのどこかにリンクを置くようにしている。「倉下忠憲の事語り」に直接置かれることもあれば、そこにあるリンクのどこかに置かれることもある。なんにせよ、私はカードを作るたびに「インデックス」を参照している。
これはZettelkastenの精神性に、あるいは梅棹の「カードをくる」に近い営みだと言えるだろう。
で、上の検討で採用したいのは「タイトルのつけかたによっては、明確に一つのことに限定しなくてもいい」という観点だ。
Cosenseをうまく使う上でタイトルをつけることは重要だが、すべてのページに対して1トピック性に限定するのはあまりにも狭すぎる。
日ごとのようなもの、あるいは〜〜について、のような包括的な話題を扱えるページも持っておきたい。
あとは「54を参照のこと」のような書き方によって、何かメリットが生まれるのかどうか。それはちょっと試してみないとわからない。
ちなみに、GoogleLMに質問したところ、
結論として、ルーマンのシステムは、個々のカードに正式な「タイトル」を付けることに依存していたわけではありません。
と返ってきた。
こちらのニュアンスを汲み取った答え方をしている。
ちなみにこう聞いた
ルーマンは、一枚一枚のカードに番号を振っていました。ではタイトルはどうですか。ルーマンはカードのタイトルをどのように扱っていましたか。
どう質問するのかで、どういうニュアンスの答えを返すのかが変わってくる。
なので、議論の材料としては使いにくいなとちょっと感じた。
もとの論文のどの部分からその判断がくだされているかわからないので、反証が難しい。
ちなみに同じ論文に加えて、ルーマン本人の「Communicating with Slip
Boxes」もアップした。
なんにせよ、タイトルそのものは重要ではない、というのはたしか。言い換えれば、タイトルをつけたらそれで仕事が完了だと思っているならば、ルーマンの目指していたものとは違う。そうして書いたものを関係付ける、位置づける、そこからまた考えるということが重要。
ルーマンもインデックスのメンテナンスにかなりの時間を使っていたらしい。デジタル化したところで、それがなくなるわけではない(ルーマンはムダな作業を手作業でしていたわけではない)、という点はごく普通に踏まえておきたいところ。
番号とタイトル
しつこく考え続ける
1.1a 断片であることは全体を背後に持つ
たとえば、「このページも参照せよ」というときならば「→1.1a」で十分。かりに5つくらい参照先があるならば、デジタルでも数字だけの方が省スペース。
一方で、文中リンクのときは、数字がいらない。以前も書いたように、[断片であることは全体を背後に持つ]のだから、とした方が自然。
一方で、目次的なものは、
https://gyazo.com/a1bb65d30fa8ae22f76aed48f09e0762
のように番号+タイトルだとよい。
もちろん、
[1.1a] 断片であることは全体を背後に持つ
1.1a [断片であることは全体を背後に持つ]
という書き方もできるわけだが。
まとめると
参照関係だけならば(どうせ先を見なければいけないのだし)数字だけでも機能するし、スペース的にそれがよいこともある。
紙の本の索引でも、見出し語+ページ数だけであって、文が引かれているわけではない
文の中にテーゼや固有名を埋め込むならば、数字はない方が自然に思える
付いていてはいけないとまではいえないが、ちょっと違和感はありそう
番号+タイトルは、それ自身がTOCを構成しうる要素になる
説明の中に、別の説明が埋め込まれているようなものを記述するならば、番号はなしにする。固有名などはすでにそうなっている。あとは明確なテーゼ、ないしは議論をまとめたもの。これをどう扱うか。
テーゼも文の中にはめ込むことが多いので、いったんは番号なしでよい。ただし、テーゼをまとめるインデックスを作ることは必要。これは番号の有無にかかわらず必要。
議論をざっくりとまとめたものはどうするか。暫定的なタイトルを与えるか、数字だけを与えるか。いや、それはあまり意味がない考えだな。結局それもどこかに位置づける、関係付けることが一番大切なこと。暫定的にタイトルを付けられるならばつけてもいい(ただし脱文脈的に)し、それができないなら何らかの数字、記号でもいい。ある位置関係に置くことさえできればそれで目的を果たしているといえる。
それについての議論を再開しようと思ったときに、その話題をたぐり寄せられる体制が整っていれば、その他の要素は従属するものでしかない。